第二章 おねだり作戦
「あ! 少将みーっけ」
聞き慣れた声に呼ばれ、振り返った先にいたのは、ヒラヒラと呑気に香月に手を振る西の王と、何食わぬ顔で彼の背後に続く天籟がいた。
「へ、陛下……? いつから、というか何故兵部に?」
「さっき。近くに寄ったついでに、そろそろ護衛交代かな思て。びっくりした?」
「はい。護衛対象が護衛兵士を迎えに来ることに」
いたずらのつもりか、遊びのつもりか。反応を面白がるように、西の王は香月の顔を伺う。背後から天籟が両手を合わせて、己の迷惑行為を詫びているとも知らないで。
皇帝が直々に護衛を迎えに来るなんて前代未聞。香月からしてみれば良い生き恥である。
「そうそう、少将。明日、できれば蜜京地区まで足を運ばせてもらえんやろか」
蜜京地区とは、ここから馬を走らせて約20分ほどの距離にある、こじんまりとした住宅街。斌区などと比べれば、国内でも数少ない「治安がマシ」と評される、比較的安全な地域である。兵部では一ヶ月に三度ほど出動要請が出る程度の争い事しか起きず、下級・中級貴族も屋敷を構えている。
ただ、香月の中で引っかかるのが、あそこには観光などの特色ある物はないのだが……
「蜜京に行くことは構いませんが、目的をお伺いしても?」
「え? あ、今日朝議の休憩で、とある官僚から蜜京地区に美味しい焼売があるって聞いたから食べてみとうなって……あはは」
乾いた笑いと明らかに言葉に詰まる王の様子から、どう考えても焼売が目的でないことは明白であろう。
「それでしたら、別日に行きませんか? 明日は蜜京地区で検挙事案がありますので、騒動に巻き込まれるやもしれません」
「なら巻き込まれへんよう、現場に近づかんとこ?」
王のその発言に対し、香月は無言の圧力をかけた。
不敬罪に抵触しないよう、あくまでただ護衛として王を見ているだけ、という態度を装って。
「嫌やな、少将。もしかして疑っ、て……ダメ?」
「ダメです」
香月の圧に負け、誤魔化すのを諦めた王。すると、眉尻を下げて早々におねだりに転じた。むしろ、開き直って追い打ちをかけるように香月の服の裾を掴み、伺いを立てるように軽く傾げるあざとテクニックまで使って、完全に狙いに来ている。
物憂げな美男にあざとさを足せば、ギャップによる相乗効果で抜群の破壊力を発揮する。これで迫られて言いなりにならない女はまずいない。すべては計算どおり。
しかし、残念なことに普段から汀州の顔面を見慣れている香月には、この程度の破壊力は痛くも痒くも興味もない。完全なる不毛であった。
「ほら〜、だから言ったじゃない。『ダメって言うわヨ』って」
「分かっていたのであれば天籟様も陛下をお止めください」
「あんな風におねだりされたら断れるわけないじゃない。香月サマって人の心はないの?」
「あれ? あっしが悪いの?」
「少将のケチ」
かわいらしく頬を膨らませ、不貞腐れる西の王。しかし、香月は冷たい態度を貫く。
「なんとでも仰って下さい。私は天籟様と違って色仕掛けは通用致しません」
「ちょっとだけ、ほんの遠目で見るだけ。ちゃんとお礼はするから」
「『お礼』……?」
報酬の釣り餌に、香月がピクリと反応を示した。それを見逃さなかった西の王は、ニヤリと笑みを浮かべ、さらに畳み掛ける。
「そう。何でも一つ、少将のお願い聞いたるで」
「『何でも』?」
蜜京地区の現場に王を案内するだけで、願いが一つ叶う。某青色魔人レベルの好条件に、香月の心がグラグラに揺れる。
「ダメだ。絶対に面倒事になる」そう頭の警鐘が鳴るも、身体は正直に、腰低く勝手に彼に伺いを立てていた。
「も……もし、陛下のお願い事を聞いた暁には、陛下の護衛交代要員の増員許可とか」
「あ、それは無理」
「ではこの話はなかったことに」
交渉は僅か3秒で決裂。二言だらけの男の頼みなど、聞くに値しない。
「だって、護衛人数増やしたら少将と一緒におる時間が少ななるやん」
「残念ながら私の業務は陛下の話し相手ではございません」
「少将とおる時間が一番楽しいから、減るん嫌やねんで?!」
「左様でございますか」
「なあ〜!」
香月の機嫌を損ねてしまったことに焦った王は、彼女の肩を揺らしながら必死に弁明を図るも、肝心の本人は両耳を防ぎ、全く聞き入れる気のない気怠げな様子である。
(そりゃあ、西の王からすればあっしといる時間は一番楽しいだろうな)
現在、西国皇帝のお忍びの外出は、護衛責任者である香月が担当をしている時間帯に限り許可されている。
(あっしの仕事時間を代償に、外出を楽しめているなんて、露ほど思っていないんだろうな)
そんな下心塗れの褒め言葉を囁かれても、業務的にも精神的にも弊害が生じている者からすれば喧嘩を売られているとしか香月は捉えられない。だから、王が駄々をこねようとも、香月は澄まし顔で貫いた。
「おい、あれ」
「ああ。西国の皇帝だよな?」
「こんなところで何してんだろ。兵部長呼んだ方がいいか?」
西の王の来訪に気づいた兵部の人間がざわつき始めた。人通りは多くないが、一介の兵士では滅多に拝めないその御身に、注目が集まってきている。
「陛下。そろそろ場所を」
「しゃーない。少将がその気なら、最終手段や」
「『最終手段』?」
すると次の瞬間、忽然と西の王が視界から消えた。
「へ?」
そして、王の姿を視線で追って振り返ろうとしたとき、香月の目の前の景色が大きくぐるりと回転し、体が浮遊する感覚を覚えた。
「な!? 陛下!! おろしてください!」
「やーだ」
「あらあら、ウフフ」
「天籟様も! 笑っていないで陛下を止めてください!!」
俵担ぎ状態で、お腹が圧迫されて苦しい。王が歩を進めるたびに御人には聞かせてはいけないような、汚い声が漏れ出でる。
香月を抱えたまま、王が向かおうとしている先にあるのは兵部本部。衛兵隊は愚か、近衛隊の兵士も頻回に出入りする建物である。
「へ、陛下! 何を」
「兵部で一番の偉いさんって、兵部長? 少将一人やと判断難しそうやから、そこへ一緒にお出かけしてええかお願いしに行こかなって思って」
「だからってなにも担がずとも」
「だって少将、絶対駄々こねるの分かってんねんで? 小柄やけど意外と重いなぁ」
「なら降ろしてくださいよ!!」
あられもない姿の香月を抱えながら移動する西の王に、さらなる注目が集まる。いや、正確には集まるのは一瞬だけで、見てはいけないものを見てしまったという感じで、すぐにみんな目を反らし、何も見なかった様子を装う。
それ故、困っている少将を助けようとする兵士は、誰一人としていない。
(くっそ~~~! ここにいる奴ら全員顔を覚えたかんな!!!)
「陛下!」
「どうしたら降ろしてもらえるか、賢い少将なら分かるやろ?」
「ですから! 事件現場に陛下をお連れするなど、私の判断では」
「ほなやっぱり、一緒に兵部長に頭下げに行こか」
兵部本部はもうすぐそこまで迫っている。
兵部長とまで行かずとも、近衛隊の兵士に見られでもすればすぐに道德の耳に入る。そうなればどうなるか。道德の口から誇張された噂が蔓延り、やがて皇室の耳に入り、皇族関係者から大批判は逃れられない。皇后や第三側室・林森(美友の母)に至っては烈火の如く怒り狂うに違いない。
怒りに満ちた皇后や林森の顔を想像し、皇帝の肩の上で身震いする香月。下手をすれば、兵士人生の終了、最悪の場合、国外追放される可能性だってある。
「……どんな手段を使われても、私の意向に変わりありません。危険な場所へ陛下を連れて行くなど、例え私でなくとも東国の兵士は誰も陛下の命令には従いません。それは、御身を案じているが故」
「それで?」
「――しかし、命令の仕方を学んで頂ければ考えようもあると言うもの」
「ほう……なら、少将が私なら、なんと命令を下すん?」
西の王の、足が止まる。
「陛下は、己が欲を満たすために、他人の命を賭した経験はございますか?」
「質問の答えになってへんよ」
「物を食すのも、道を歩くにも、東国にいる以上、誰もが自身の命を懸けることなんて当たり前。己が命など何のおとりにもならない図太い東国の民相手に、要求を通すにはどうすれば良いか――それは、とことん驕慢になることです」
「これ以上、我儘言うたら、困るのは少将ちゃうの?」
「かような子どもの『駄々こね』程度では、放念されるのが落ち。この国では、より身勝手になった者が欲しい物を手に入れられます。せめて、『殺す気で楽しませろ』くらいは言って頂かなければ」
ここで、一か八かで浴びせた東国の洗礼。『蜜京に行くなら王の命を懸けてみろ』と、ほとんど喧嘩の売り言葉である。
香月の煽りに、西の王がどう出てくるか。長く短い一瞬の静寂に、香月は固唾を飲んだ。
「……僕が死んだら、責任取らさせて少将も道連れにすんで」
「他人の命を勝手に賭けるくらいの腹積もりがあってこそ。東国での人の使用料は、安くありません。そのお覚悟がまだ整っていないのであれば、今回は調査終了後の現場への立ち入り許可を近衛隊に打診しておきますので、それでご容赦くださいませ」
「はぁ……」
王は、軽いため息を吐くと、ようやく香月の身柄をゆっくりと下に降ろした。
「んー……まあ、しょうがない。少将の授業に免じて、今回はそれで我慢しよ」
――――っぶねぇええぇえ!!!!
その言葉を聞いた瞬間、緊張から解放された安堵感に、香月の心臓はバクバクとうるさく耳の中で鳴り響いた。自分でも気づかぬ内にかなり緊張していたのだろう。下に降ろされた瞬間、体中の穴という穴からどっと変な汗が噴き出す感覚さえあった。
「陛下は何故そこまで蜜京の現場に?」
「少し確認したいことがあったけど……でも残念。現場でもし乱闘にでもなったら、少将も混乱に肖ることができたかもしれへんのに」
「え♡」
西の王の呟きに、別の意味でまた香月の心臓が、トゥンクと大きな音を立てる。
しかし、すぐに邪念を飛ばすかのように、咳ばらいを一つして態度を引き締めた。
「ん゙ん! 無用な気遣いです」




