第二章 引き抜き
朝議の場に参加できるのは、原則官僚のみ。近衛兵以外の護衛兵は外で待機となる。
それ故、西の王が参加する前部が終わるまでの約3時間程、香月は暇を余すこととなるのだが……
「暇だー」
「世界で一番ブスな顔をしている」と自負できるほどに、香月は暇に翻弄されていた。
とは言え、今この時間も仕事の内。護衛対象との距離が多少離れているだけで、緊急事態に備え、すぐに出動できるよう待機する必要がある。
(こっそり訓練場行って体動かそうかなー)
理性では分かっていても、悪魔の囁きが頭に浮かぶ。
(いや、ダメだ。こういう『今この瞬間だけは!』と間の悪いタイミングに限って、ハプニングは起こんだから)
欲の甘言に誘われつつ、後の雨露からの制裁を思い浮かべることで、煩悩に傾倒しないよう己を律した。
(でも――真面目に護衛して襲撃されても同じ責任に問われるなら、潔くサボった方が得じゃね?)
とんでもない屁理屈に気づいてしまった香月は、欲に負けた。いや、最初から勝つ気などなかったのかもしれない。
サボることを心に決め、堂々と訓練場へ向かおうと香月が足を向けたその時だった。
「おやおや。香月はんやないですか」
(ゲッ!!)
世の仕組みは、人智の領域を超え、時に奇っ怪な偶然を招き寄せる。悪いことをしようとすると、天罰が降るように。
香月がサボりを決めようとした矢先、遅れて朝議にやってきた道德と出くわしてしまう。
「あんさんにこないな所で会うやなんて」
つまらない業務、手持ち無沙汰な時間、サボりの妨害、留めに心底嫌いな人間から声を掛けられ、香月の不機嫌度は頂点に達した。
しかし、相手は近衛隊隊長。衛兵隊の少将ごときその気になればクビに追い込むことができる立場にあり、実際にその権力を笠に振りかざす、本当の意味での権力の奴隷。力を持てど、眼中無人な野郎に対して香月が見せる態度はただ一つ――
「道德様じゃないですか〜! ご機嫌麗しゅう!」
あからさまな愛想を振りまいて、ご機嫌伺いを立てることである。衛兵隊で道德にゴマを擦るのは……いや、道德に媚びを売らないのは、あの4人の将軍くらいだ。
その理由は至って単純。みんな、クビになるのが嫌だから。
「こんなところで何してはるん?」
「今とあるご要人の護衛中なんですぅ〜」
「ああ、中の護衛は近衛以外認められてへんから。お上も意地悪しはるわ。衛兵の方々も入れてあげたらよろしいのに」
「こっちも満足に仕事ができず困ってるんですぅ」
「いっそのこと、近衛に移籍しはります? 近衛も人手が足りんし、僕の方から兵部長に相談してあげるよって」
――――ん?
少し違う道德の様子に、香月は少し焦りを見せる。
いつもの彼なら、謙譲語に和訳した嫌味を吐くにも関わらず、それが今日は引き抜きの誘い。
「あんさんの実力やったら、喜んで席空けたるで」
それも、口振りから察するに、冗談や軽口を叩いているわけではなさそうな様子。
「そもそも、あんさんと汀州はんは天下り組やろ。気が向いたらいつでもおいでやす」
「も、もし衛兵隊をクビにでもなったときは、期待していますね……」
「もちろん。ほな失礼」
玉の間に入れない香月の前を素通り、道德はこれ見よがしに中へ入って行った。扉が閉まる直前、そんな彼の後ろ姿に向かって、香月は吐き捨てるように呟く。
「胸糞悪りー奴」
「貴様も人の事言えねーだろ」
その様子を一部始終、陰で見ていた人物が、背後から香月の悪口に茶々を入れる。
「なーんだ、銀蓉か。厠ならそっち突き当たり左だ」
「だから厠じゃねぇ! 貴様らの中でなんでいつも俺は厠欲してんだよ!」
「じゃあ何の用だ。一々嫌味を言いに来たのか? 暇かよ」
「貴様こそ。道德様の前だといつも気色悪りぃな、バケモンか」
「ガキあやす時のお前の顔面よりマシだっつの」
「ぶっ殺すぞ!?」
銀蓉は、訓練兵時代の同期でありながら、若くして近衛隊副隊長に選抜された優秀な兵士。道德同様、公達という高身分で名家の息女と結婚し、今は双子の父親となっている。
銀蓉がなぜ、こんなにも衛兵隊の5人組揶揄われるのか。
それは、彼の奥さんが子どもを連れて兵部へ挨拶に来た8か月前。衛兵隊に夫婦でやって来た時、泣き喚く子どもを銀蓉があやしていたのだが、不慣れと焦りと困惑と、泣き止ませなければならないという使命感でぐちゃぐちゃになった表情で抱っこし、子どもにさらに大泣きされたことがあった。いつも怒っている銀蓉が、福笑いのような顔をしていた姿に、奥さん含め周りの大人は腹を抱えて笑い回った。
ちなみにその時おむつ替えも、替えている最中に第2波が来て本人が酷く動揺してしまい、「か、厠! 厠はどこだ!!」「なんで厠の方から迎えに来ない!!」と迷言を残したことから、それ以降現在まで厠ネタでバカにされる始末なのである。
「で、マジでなんの用?」
「悪いことは言わねぇ。西国皇帝の護衛を降りろ」
「は? 無茶言うなよ。あっしだってこの案件、近衛に差し戻せるなら戻してーよ。尊陛下のお達しだからってんで、お前らだって衛兵隊に回したんだろうが」
護衛関係の仕事は本来、まず管轄の近衛隊に話が集約される。その中で業務上、手が足りない場合や、桂人絡みの仕事の場合、近衛隊から正式に衛兵隊に仕事の委託願いが申し渡される流れとなっている。
それ故に香月は、てっきりその正規ルートを辿った上で、仕事が回ってきているものだと思い込んでいた。
「そうじゃねぇから道德様の機嫌が悪いんだろうが」
「嘘……」
「嘘なもんか。近衛に話が入る前にいつの間にか衛兵隊に流れてたんだよ」
それは、かなり由々しき事態であることを示していた。
(あの尊陛下、業務管轄の近衛をすっ飛ばして衛兵に直に仕事を振りやがったのか!?)
皇帝が、正規の手続きを踏まずして直接依頼を申し出ることは、衛兵と近衛の関係により亀裂を深める行為そのもの。それも十分な理由を近衛隊に伝えず、安直に衛兵隊に仕事を振った。
道德の様子がおかしくなるのも無理はない。
「俺からの警告だ。暫くは衛兵隊の動きに注意を払っとけ。ウチの大将がキレるとどうなるか、予測が付かないことくらい分かってんだろ」
「……」
身分・家柄ですべてが決まる近衛隊の中で、銀蓉は数少ない、実力でその地位を勝ち取った実力者。
群を抜いて彼が秀でていたのは、その察しの良さと、公正な他者分析だった。他者の言動や表情の微かな変化、性格や癖、矜持などを正確に読み取り、人の動きやトラブルを予測することが上手かった。感情的になりやすいのがたまに傷だが、トラブル回避能力は間違いなく兵士の中で一番高い。
だからこそ、地位や名誉や家柄だの、どうでもいい忖度塗れの近衛隊の中でも上手く立ち回ることができているのだろう。
そんな彼からの警告は、予言と言っても過言ではなかった。
「相変わらず、お前はお人好しだな」
「勘違いするな。衛兵隊の過失を誘発するための布石だ」
対立する衛兵隊に親切に教えたところで、銀蓉にはなんのメリットもない。むしろ、衛兵隊に肩入れしていることが道德にバレたら、折角築き上げてきた立場を失う危険だってある。
だが、トラブル回避能力が高い彼だからこそ、トラブルに対する耐性が低い銀蓉だからこそ、揉め事が起きないよう、誰よりも先回りして動く。
「何の話?」
「「!」」
そこで、朝議に出席していたはずの西の王が、気配を消し、何食わぬ顔で会話ににゅっと入ってきた。どうやら休憩に入り、一度外に出てきたよう。他の官僚達も外気を吸いに、ぞろぞろと中から出てきている。
「西国皇帝陛下にご挨拶申し上げます」
兵士らしく、銀蓉は即座に拝礼を行い、香月もそれに並ぶ。
「少将、またサボり?」
「滅相もございません」
「サボり癖のある人間」と言わんばかりの言い草に若干イラッとする香月。
(サボるのは護衛業務くらいだっつーの。それに今日はまだサボってねーし)
そう心の中で愚痴を吐きながら、香月は密かにバレない程度の舌打ちを立てた。
「君は確か、銀蓉?言うたか」
「覚えめでたく、ありがたき幸せでございます」
「少将とは仲良いん?」
「業務報告をしていただけです。それでは、私はこれにて失礼致します」
深々と頭を下げ、銀蓉はそそくさとその場を立ち去った。
「陛下、休憩でございますか?」
「中におってもつまらへんから。あ、そうそう。尊陛下から許可はもらったから、朝議が終わったら内廷内の案内頼むで」
「かしこまりました」
「ほな、それまでちゃんと――ええ子に近くで待ってるんやで?」
逃げられないようにわざわざ香月の肩に手を置き、西の王は耳元で囁くように釘を刺す。
(あれ……もしかして、サボろうとしてたのバレた? なんで?)
驚きのあまり固まっていると、肩に触れる王の手にグッと力が入る。
「お返事は?」
「は……い」
読まれるはずのない心を読まれ、返事をする声が思わず震える。
それに満足したのか、ニッと微笑み、王は再び玉の間に戻った。
(あっしに釘を差すために、わざわざ? いやまさか……な)
更新遅くなりました。
すみません(汗)




