第二章 緊張を纏う者
「よくやった、九垓」
「ヨ!! 虫コナーズ将軍!」
「そんな異名を背負った覚えはありません」
道德がいなくなった瞬間、雨露と汀州は調子よく九垓を褒めた。そんな二人のうざ絡みを適当にあしらう九垓だが、表情は満更でもなさそうである。
賑やかな雰囲気の中、これまでの会話を終始聞き耳を立てていた男が、ようやく目を覚ました。
「あいつら……何しに来たの?」
「おや、蒼波。起きましたか」
ずっと稽古場の床で爆睡していた蒼波が、大きな欠伸を一つした後、背伸びついでに起き上がる。タイミングから見て、近衛が帰るのをずっと伺っていたのだろう。
「お前だけ逃げてずるいぞ、蒼波〜」
起きたての蒼波に頬擦りしながら、汀州はからかい口調で皮肉を口にする。
だが、そんな彼に一瞥することもなく、蒼波は話を続けた。
「近衛……何しに来たの?」
「釘刺しと嫌味の手土産を渡しに来ただけだろ」
雨露が言った。
「香月のこと話してた」
「あいつが宴の黒幕を突き止めたのが気に食わねぇんだって。道德の公達特有の気位の高さは今に始まったことじゃねぇんだから、放っておけ」
「もし……近衛が、手……香月に出すなら、……潰す」
「蒼波ー。香月が可愛いのは分かるが、今は雨露の言う通り、相手にしない方がいい。嫌味に反応してやるほど暇じゃないことを態度で示してやるんだ。分かった?」
「……分かった」
※公達…貴族の子息。
衛兵隊中将 蒼波。
彼は、衛兵隊の中で随一の剣の腕前を持ち、その実力は剣の才覚だけで中将に成り上がれる程。
しかし、それ以外のことは基本不精で、食事を摂ることと、睡眠以外には介護者がいないと何も出来ないくらい、生活力がない。
そして彼は、過去のとある出来事を境に、香月に対し、強い執着心を見せるようになった。
その気持ちは恋心とは少し違う、彼女を守らなければならないと言う、彼自身の強い使命感。それは普段の同伴はもちろんのこと、会話に『香月』の名前が出るだけで過敏に反応してしまうほど。
だが、これは香月当人も承知の上。
それ故、先程の近衛との会話の中で、彼らが故意に『香月』の名を出したことによって、今、蒼波の近衛への警戒が上がった。
蒼波の性格上、事を起こす前の防衛戦を目論んでいることを察した雨露達は、火種を大きくさせないために放っておくように指示した。
汀州のフォローもあり、今回は気を反らせることができたが、過去には突然乱闘に発展させてしまうこともあり、雨露達でさえも彼は腫れ物に触る扱いである。
――――これは多分……マズい。
下手に音を立てれば捨てられる。呼吸音にすら気を遣わなければならない、戦場にただ立つよりも高い緊張感の空気に、銀蓉はひたすらに存在感を消した。
衛兵隊の稽古場を後にしてから、明らかに道德は口を開かなくなった。いつもならすれ違う下級官に対しても、愛想を振り撒く道德が、今は無表情で虚ろな目をしている。そんな彼を見て、銀蓉は、ただひたすら無事に近衛隊本部に戻れることだけを考えた。
なぜなら、こんな時、道德は決まって良からぬことを要求することが、分かっていたからだ。
「銀蓉」
そう思っている矢先、名前を呼ばれた。
「僕って、今どんな顔に見えてる?」
その質問に、銀蓉は固唾を飲んだ。
この質問には、何も答えてはいけない。妬みの感情に心が侵食されている今、彼が望む正解の言葉以外を答えたが最後、家名の権力によって、銀蓉の近衛隊兵士としての人生は終わる。
読心術を体得している者以外、今の道德と会話をまともに成立させることなんて不可能。不機嫌なんて生易しい言葉じゃ済まない。
近衛隊の席次についたものは皆、1年と持たない。近衛隊隊長であり、貴族出という立場の道德は、部下の人事の采配などどうとでも操作ができてしまう。それ故に妬みの発散に利用され、逆らった人間は社会的に抹殺されてきた。
「聞こえたはるやろ? それとも、僕が怖いんか?」
(怖いよ)
むしろ今の貴方を「怖くない」と答えられる人間がいたら、この立ち位置を切に変わってほしいとさえ思っている。
「相変わらず正直なお人やな。そりゃちょっとは癇に障ったけど、彼らとの喧嘩なんて今に始まったことやない。毎回まともに相手してたら切りないわ、アホらし」
(嘘だ。罠だ。絶対気にしている)
しかし言葉を発さず、表情を殺し、銀蓉は直立不動でこの場を乗り切ろうと試みる。
「せやけど、仕事の領域は守ってもらわな、今後近衛隊が困ってまうよって」
銀蓉には道德が何を企んでいるのか想像も付かない。
だが、意味ありげに残された彼の言葉に、銀蓉は二度目の固唾を飲む。




