第二章 刀鍛冶の職人
無事、宴の首謀者を捕らえ、東国には元の忙しない日常が戻った。
香月は、護衛業務を疎かにしていたことが尊陛下にバレて、勤務体制が見直され、逆に担当時間を増やされる運びとなった。
それ故、今日も今日とて、西の皇帝陛下の金魚の糞となり、暇なのに欠伸ひとつできない時間を過ごしている。最近では、東国の国風を知りたいという王の要望により、公務の合間に彼を連れ出し、東国の街を案内することも出てきた。
一重に『国風』と言われても、何を持って文化と見做すかは人それぞれ。形で示される物もあれば、人間関係のように形では見られない物だってある。
今日の西の王の観光地は、技術系の店が軒並ぶ『鋼盤』という町の、とある鍛冶屋。
「おやっさん、いるかー? 香月が来たよー」
刀鍛冶 鉄中錚錚
鉄に人生を捧げる、齢70の文 子豪という老男が、長年一人で細々と営んでいる店で、兵部の重要な取引先のひとつである。
店頭には、炭坑から仕入れたであろう鉄鉱石が積まれた車や、店主が打った大量の刀があちこちに放置されていた。刀は鞘入の物もあれば、刀身が剥き出しになっている物もあるが、接客をした跡には見えない。どちらかと言うと片付けが面倒で放置していたものだろう。
「子豪ー、いないのかー?」
中の作業場を覗きに行っても誰もいない。途中まで作業をしていたのか、仕事工具は広げられたままだ。
「留守みたいやな」
「まさか……」
作業場の奥には、子豪の住居が隣接している。作業場にもいない時は家にいるか外出しているかだが、外出する際には必ず住居の方は施錠しているため、香月は不審に思った。この時住居の扉の鍵は、施錠されていなかったからだ。
「やっぱり」
そこでとある確信を持った香月は、不躾に玄関の引き戸を音を立てて全開にし、ズカズカと中へと押し入った。
迷うことなく彼女が真っ先に向かったのは、子豪の寝室。居間には読みかけの書物と、中途半端に放棄された食事の痕。しかも、昨日今日に食べた物ではなく、玄米の乾燥加減から見て、数日は経過していた。
「子豪」
寝室の襖を開けた先に、それはいた。
「はー……もうーダメじゃ……儂は、このまま金琴と一緒に逝きたい」
散乱した大量の本に囲われながら、布団の上で大の字で天井を仰いでいる、頬がコケた干からびかけた老人。その頬には、涙が伝っていた。
「少将、まさか彼が?」
王が小声でこそっ彼女に尋ねた。
「彼が刀鍛冶の文 子豪です」
「『金琴』は奥さん?」
「そんな深刻なものではありませんのでご心配は無用です」
老人が痩せこけ倒れているのを前にして、香月は全く動揺した様子を見せず、冷静だった。
子豪の趣味は読書。彼は連載物の書物を好んで読むのだが、その感受性の高さから物語の世界観に没頭しすぎて、こうして現実世界に戻ってこれなくなることがある。
また困ったことに、彼は『推し』という、所謂物語の中で最もお気に入りの人物を作って物語を楽しむのだが、彼が推した物語の登場人物は悉く、突如として雑な死を遂げる運命にある。
そのたびに、仕事や生活が手につかないほどの悲しみに暮れ、ワラスボの干物のような姿になり果てる。
今も香月が真上から見下ろすように顔を合わせに行っているのに、視線が合っている気がしない。まるで香月を越えた向こうの景色を見ているかのように、子豪は虚ろな目をしていた。
「まーた推しが死んだか?」
「花宮殿物語〜救いの聖女は人魚姫〜の主人公の妹が住む、宮の庭師の助手じゃ。作者は惜しい人を殺してしまった」
彼の愛読書は大抵若い女性層向けのもの。しかも、推しの対象だって、人気投票ランク外になるほどのマニアックな人物ばかりを推す傾向にある。
「まさか病を患っていたなんて」
「わざわざ殺す必要があったのかさえも甚だ疑問だな」
「もうーなんじゃ。儂は喪に服しておるんじゃ。仕事ならまた今度にしてくれ!」
「仕事の前に生活をなんとかしろ。何日風呂に入ってねーんだよ、くっさいな!」
「フッ、4日」
子豪は得意げに言う。年齢が年齢だけに、汗以外にも加齢臭が混ざって、独特な臭いが部屋に充満している。心做しか布団の色も若干黄ばんでいるようにも見えてきた。
「客人だ。とりえず風呂に入れ」
「わかったよ! やれやれ。人の生活区域にまでやってきたと思ったら……あれ?」
「あ?」
起き上がろうと体を動かしたはずの子豪の体が、1ミリ足りとも動いていない。
いや、本人の様子を見る限り、彼でさえも自分の体が動いていないことに驚いているようだった。
「……なあ、最後に飯食ったの、いつ?」
「あれ、でもおかしいのう。昨日厠に行く時は動けたんじゃが」
「食い物!」
「家の中になんもないぞッ!」
「『なんもないぞッ』じゃねーよ! 何故ちょっと得意気?! なんか買ってくるから風呂入れ! くっさい!」
「二度も言うでないわ小娘!」
微動だに身体を動かせないくせないが、口だけは一丁前に動かす子豪。
布団から起き上がれない子豪を風呂場に連れて行こうと、香月が腕を肩に回したところ、西の王が彼女を制止した。
「我々も手伝う。入浴は私と天籟がやらせてもらうから、少将は風呂の準備を。浮光はすぐに口にできる物を買うてきて」
「え"」
「おう、気が利く若造じゃのう」
「クソジジイは黙ってろ」と言わんばかりに、香月は即座に子豪の頭を蹴った。
「来儀様のお手を煩わせる程では」
「体を洗うんが女性やと、主人も恥ずかしいやん?」
「そんなに儂の裸を見たいのか? 何をする気じゃ、香月のエッチ!」
身の程を弁えずふざける子豪に、今度はこめかみを確実に狙って蹴りを入れて黙らせる。
「お心遣い痛み入りますが、彼の介ご……介助は今に始まったことではありませぬ故、お任せ」
「ほら早く。動いて」
優し気な笑みを向けながら、王は介入を断る香月の言葉を塞いだ。「命令を聞け」と無言の圧のように感じたのは、香月の杞憂だろうか。
(一国の皇帝が老体の介護をするなんて正気か? 子豪の完全なる自業自得なのに!?)
王のお節介を止められないもどかしさと、王を止めることもせず指示通り動く従者二人に一人イライラしながら、香月は子豪の風呂の準備を整え始めた。
「久しぶりの風呂はやっぱり気持ちいいのう。肉饅も美味い! まさか東風苑を買ってくれるとはのう!」
「喜んで頂けて光栄ですわ」
本物の皇帝を前にして、まるで皇帝気分な子豪を横目に、香月はさりげなく舌打ちした。
西の一番偉い人間に体を洗ってもらい、中庭で椅子と机を並べさせ、太陽を燦々と浴びながら美味い肉饅を何個も頬張り、推しの喪失感は遠に癒えたことだろう。
もう余生では返しきれない程の大きな恩情を自分が被っているなんて、子豪は知る由もないだろう。
「だが金は払わんぞ! ここいらじゃ高くて有名な肉まんじゃからな!」
「もちろん、お代など求めておりませんわ。貴重なお仕事現場を見学させて頂いているのですから、これはそのお礼と言うことで」
「なら良し」
不敬に不敬を重ねる子豪に、右拳をふるふる震わせながら、腹の底から湧き上がる苛立ちを必死に抑える。
外出時は、自分から言わない以上は来儀が皇帝であることを明かさないよう言われている。それ故、子豪のでかい態度をどうすれば黙らせられるか、香月は思考錯誤していた。
「で、香月や。今日はなんの用じゃ。こんな大所帯で押しかけて来て」
「兵部の客人が東国の鍛冶屋を見てみたいと言うので連れてきたんだ」
「そりゃタイミングが悪かったのう。喪が明けるまで仕事はせん」
「喪に託けてサボろうとすんな」
ちなみに子豪は仕事のサボり癖がある。
「儂だって仕事をしたい気持ちはあるんじゃが、年も年なんじゃ。仕方なかろう?」
「子豪のサボり癖は昔からじゃねーか」
「あ、いいこと思いついた。仕事してやるから、香月や。一つ使いを頼まれてほしい」
「はあ? まだ客をパシらせる気か」
「この紙に書かれてある店を回って商品を取りに行ってくれ。その間、この客人さん方は儂が引き受けてやる」
子豪に差し出された紙を受け取り、内容を確認してみる。が……
「字が汚くて読めねぇんだけど!!」
しかも辛うじて読める文字が「餡」だの「焼鳥」だの、絶対に仕事と関係がないのは明白である。
「どうする。儂の頼みを聞かぬなら、客人連れてさっさと帰れ」
「チッ。死にかけの爺が偉そうに命令しやがって」
「その嫌味は主らが滞納している支払いが済んだら、聞き入れてやる」
そう。子豪の言うとおり、近衛隊にほとんどの予算を持っていかれる衛兵隊では、業者への支払いが滞る。それ故、支払いの信用のなさから、衛兵隊が業者から取引を打ち切られた回数は数知れない。それを知っても尚、子豪は、まだ取引を続けてくれる数少ない希少な鍛冶屋なのである。
「チッ。ツケにするから店への支払いはテメェでやれよ」




