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第一章 先入観


 細やかな水滴の音にでさえ掻き消されてしまいそうな掠れた声で、途切れ途切れに紡がれる言葉に、三人は静かに耳を傾けた。


「みんりん……。あの女のせいで……全てが、狂った……!」


 亡骸が、まるで息を吹き返したかのように、偉燕の目には光が戻った。

 その瞳は、激情を秘めていた。吐瀉物を垂れ流し、水分がなくなった乾いた声でも、真の怨み節であると分からせるほど怒りを露わにしたそれは、香月を睨んだ。

 

「あの女が、……しくじった、せいで……台なし…………台なしに!」

「『しくじった』……?」

「だが……これで終わり、でない!」

 

 感情に身を任せ、その勢いで拘束された椅子ごと、鉄格子に身体を動かそうとした。だが、拘束されたまま、まともに動けるはずなど到底なく、偉燕はそのまま椅子ごと床にひっくり返った。

 顎から直接床に落下したというのに、偉燕の昂ぶりが冷めることはなく、彼の叫びは続いた。

 

「……時間は、作れる。ゥ゙ぷ……私が何も言わなければ、元に……戻る……!」

「なに?」


 偉燕の意味深な言葉に、香月は眉を顰めた。

 しかしここで無理に話したことで事切れたか、再び吐き気を催した男は、また大量に内容物を吐き戻し、項垂れて意識を失ってしまった。


「おーい」


 汀州が偉燕の顔を足で小突いてみたが、彼が戻ってくることはなかった。


「関係性の否定もすることなく、容認した上で黙秘を貫くか。調教師は大層有能なようで。まあそっちの方が汀州の腕が鳴るってもんか?」


 雨露が言った。

 

「ふざけんな。意識飛んだら意味ねーだろうが! 起きろー!」


 拷問の続きがしたいがために、汀州は横たわる偉燕の顎を少し上にあげ、医局からぶん捕ってきたであろう鼻腔用綿棒を、鼻の穴に同時に突っ込む。その瞬間、なんとも言えない違和感と、脳へ直接響くような痛覚に、偉燕の身体がビクン!と跳ね、カーッと痰を切る声と共に咳が漏れ出る。

「ほどほどにな」と、汀州を往なしつつ、雨露はやれやれとした表情で頭を抱えた。

 

「しっかし、明林って女は一体何者だ? 綿密な計画をただの女の失敗で瓦解できるなんて、どう考えたって超重要人じゃねーか」

「雨露よ……お前がそれを言うかね」

「何が?」


 雨露はほおけた顔で聞き返した。どうやら心当たりがないらしい。


「汀州ー、雨露(こいつ)も拷問してくれ」

「なんでよ!」

「とある筋からはお前も明林を買ってた一人だって聞いたけど?」

「えー全ッ然覚えてねぇわ」

「クソが」


 女癖の悪さが裏目に出たせいで、頼みの綱である雨露は全く明林のことを覚えていなかった。だが、彼が普段から関係を持った女を一々覚えていないことは別に珍しくもない光景だった。

 それ故、幾度明林の名前を出しても、馬笛を見せても、初見のような話しぶりをする彼の様子から香月も薄々危惧はしていた。

 

「ホントに覚えないのか? 工部の馬丁に手を出した記憶とか」

「ないな。てか俺、その明林と関係あったら絶対二股以上掛けられてたってことだよな? うわっ! 知らねぇおっさんの性病とか感染(うつ)されたらマジで最悪なんだけど!」


 自分は平気で浮気をするというのに、雨露はなぜか自身が浮気されることに対してものすごく嫌う。

 これには汀州も香月も、互いに顔を合わせて呆れ果てた顔を見せる。

 

「性病菌から明林の情報を搾り取れるならいっそ感染すればいいのに」

「性病に感染したときはちゃんと言えよ。お前と同じ厠使いたくないからさ」

「お前らひどくね? 俺一応上司だよ?」

「上司が性欲に負けて、美人局に嵌められた部下の心中も察してほしいもんだね」

「性病から部下の健康を守るのも上司の役目だろ?」


 ぐうの音も出ない雨露は、下唇をグッと噛みしめ、とうとういじけ、背を向けてしまった。構ってほしそうにチラチラと二人に視線を向けながら、ブツブツと文句を垂れる。

 しかし、そんな彼を気に留めることなく、汀州は拷問の続きを、香月はもう一度馬笛を見返す。


「明林と丹の証拠ぉ~……」


 この件に関わる人間は皆、異口同音、なぜかこの少し高い馬笛に執着する。この馬笛が、丹を引きずり出すに足る証拠となるに違いなかった。しかし、宴襲撃事件においてどんな役割を担っているのか、肝心の部分が分からない。

 

「……明林が仮に丹と付き合っていたとして」


 いじけた雨露が、背中越しに呟く。

 

「その馬笛を贈ったんなら、その馬笛自体が双だったりして」

「双?」


 双とは、所謂ペアルックのこと。婚前の恋人同士が、思い人がいることを示すため身につける装飾品のことである。しかし、本来の双の形である指輪などの装飾品を買う余裕がない一般庶民の間では、装飾品以外の物で双の代用として贈り合うこともある。

 

「金持ちの間では、お気に入りの女に自分の家紋付きの物をあげるのが流行ってる」

「なんで?」

「暇を持て余した貴族共が、最近、庶民や桂人の女で遊ぶのを密かに楽しんでんだ。一種の肝試しみたいなもんで、本気じゃない相手にどこまで賭けられるかを競う。だから家紋を賭けることで箔が付くだろ?」

「『双』……」


 雨露が提示した新たな切り口に、香月は悩んだ表情を見せ、外へ向かった。


「ちょっと刑部行ってくる」

「あ、ちょっと待て、香月! 鼠を調べるのは良いが、これから西国の護衛だろ。昨日だって」

「それならちゃんと代役立ててるから問題ない」

「おい!」


 雨露の小言を受け流し、香月は構わず地下牢を後にした。

 情報は着実に集まるが、なぜかその点と点が綺麗に繋がっていかないことに、香月は強い違和感を覚えた。そして、そう言う時は決まって『先入観』が邪魔をしている。その先入観はいつ生まれ、なんの情報によって組み立てられた思考か分からない。

 そして『それ』を取っ払うのに当たり、最も確実で手っ取り早い方法は、スタートに戻り情報を見直すこと。

 香月が最初に調べたのは、浩然の母親である明林の処刑記録について。仮に、そこから間違いが生じていたとしたら?

 

(そして、あっしにその間違いを生じさせていたのは……くそ! こうなったのも全部正威のせいだ)

 

 「裁判記録を見せてもらえなかった恨みと、休みを取らせた恩も合わせて正威に鰻奢らせてやる」と、恨みがましさ全開で、香月は足早に刑部へ向かった。

 そんな彼女を、少し離れた場所から目で追っている男がいた。


 ――「少将?」

 

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