第一章 母か女か
――亥の刻(夜10時)
「ここがその店か」
沈少の話を以て、早速香月は例の店へ行った。
店の建物は潰れた古書店を改装したもの。沈少曰く、斌区に古書店の看板を掲げる建物は1つしかないため、すぐにたどり着くことができるとのことだった。ただ事前に話を聞いていなければ、一般人は間違いなく素通りしてしまうような、古びた外装をしている。
看板は古書店の時のままで、壁にはヒビ、屋根の軒先は一部欠けているところがあり、風が吹くだけで建物が軋む。店の前には捨てているのか置いているのか分からない、紐でくくられた大量の古書が並べられており、酒を提供している店には到底見えない。
(人目を憚ってとは言え、男女の逢引にしては趣味が悪い)
軒を並べる店の中でも一際騒がしく、中を覗くと明らかにカタギではない、体中傷だらけの筋骨隆々の男共が酒を片手にはしゃいでいる。
ただの不倫カップルが遊び半分で来るにはかなり敷居が高い。
「……い! おい!!」
店の窓格子からつま先立ちで中の様子を観察することに専念していると、聞き覚えのある声が香月の集中を破った。
「お前、どうしてここに!?」
「よう、浩然。また会ったな」
突然現れた香月に、なんだか複雑な表情を見せる浩然。それは、母親のことに関して何か分かった「期待」とは違う、バツが悪そうな「動揺」。
それもそのはず。下働きの襦褲を纏い、小さな子供の体で酒瓶を運び入れるその姿……聞くまでもなく、彼がこの店で働いていることは明らかだった。
母親が不倫交際のために贔屓していた店に、偶然子どもが働いていた。そんな偶然は果たしてあり得ることだろうか。答えは、――否だ。
「いつからここで働いてんだ?」
「そ、れは……」
「いつ」
「春暖の宴の、翌日から……」
泳ぐ目を隠すよう、浩然は目を伏せた。そんな彼に、香月は構わず再度圧をかけて、口を割らせる。
「なんでこの店を選んだ」
「なんでって……」
「お前、あっしにはああ言ったが、本当は知ってたんじゃないのか? 母ちゃんは、利用されたんじゃなくて、最初から協力していたことに」
浩然は俯いたまま、何も言わなかった。
「どう考えても、馬笛がないだけで憶測が過ぎるんだよ。何故利用されたと確信が持てた。お前の母親は、一体、何者なんだ」
「俺だって分かんないよ!」
声を荒げる浩然。彼の感情的な叫びから、ただならぬ雰囲気を感じ取った通行人が、様子を伺うように香月達に注目が集まった。
人目を憚り、一先ず二人は店裏に移動し、話を続けた。
――浩然の話によると、以前、偶然鉢合わせた明林の仕事仲間から、夕方には仕事が終わっていることを聞いた。それなのに、いつも夜遅くにならないと戻ってこない母を不審に思い、気になって、寺子屋終わりに彼女の後を付けたらしい。
そして彼は、知らない男と腕を組み、この店に何度も通う母の姿を見たそうだ。
「だから奉公を始めたのか。その時、中の様子は見たか?」
「外から覗いたけど、すぐに連れの男と2階に消えてしばらく出てこなかったから……」
「しばらくって?」
「日が変わっても出てこない時もあれば、時々、勘定台席で話すだけの時もあった」
「その相手って、顔にほくろが多い若い男か?」
「外套を羽織っていたから顔はよく分からない。でも、明らかに上背が違う時があったから、複数の男の人と会っていたんだと思う」
外套を羽織った男達との密会に、バラバラの時間……浩然と沈少の情報から推察するに、肉体関係が本懐ではない勘定台席の男が本命。つまり、馬笛の持ち主――おそらくは、盗賊と繋がっている貴族。他の男達は、その密会を誤魔化すための偽造。
「店主にも、さり気なく色々聞いてみた。定かな情報じゃないかもしれないけど、母ちゃんと勘定台席でよく話していたのは、南の訛がある中年ほどの男だったそうだ。一度、その男から母ちゃんは大量の書簡を受け取っていたらしいんだけど……」
「その書簡、見たことは?」
「ない。少なくとも家にそんなものはなかった」
「それ、店主はいつのことだと言っていた?」
「先の、晩秋の頃だったと」
晩秋の頃に大量に渡された「書簡」……
そこに、宮廷内の情報が記されていたか? 否。明林が潜入していたのであれば、わざわざ横流しをする必要がない。
であれば、その書簡の中身は、必然的に明林では調べる事ができない内容――
「――まさか!」
「何か分かったのか?」
「お前には関係ねぇよ」
「お願いだ、隠してたことは謝る! だから! 母ちゃんに馬笛を渡した奴を探し出してくれ!」
そう口にしながら、浩然は香月に縋り泣いた。
「ちょ?!」
「母ちゃんは自業自得かもしれない。でも、母ちゃんだけが罰を受けるなんて……道連れにしなきゃ気が済まない!!」
「分かった、分かったから。ただ1つ聞きたい。この店の奉公に潜るのは兎も角、何故、市で馬笛を盗むなんて、非効率的な手法を取った」
「それは……」
「お前はそんじょそこらのガキよりも聡い。お前なら、もっと効率的な方法なんて、いくらでも考えられただろうに」
浩然はまた目を伏せた。言葉の代わりに力が入る彼の拳から、その心情が思いやられる。
「こんな下町の下層地域でなんて、金成木を買うような金持ちの情報が入るわけがない。だから……」
「『だから』? 人が集まる市で宮廷内の人間の興味を引いて、協力者を得ようと。それでまんまと罠にかかったのが、あっしだったってわけだ」
「……ごめんなさい。でも、お前だけだったんだ。話を聞いて、手掛かりを見つけられそうな人が」
魂胆を見透かされて目に涙を浮かべながら、子どもらしく、しおらしい謝罪の言葉が、彼の口から呟かれた。
「別に。こっちだってメリットがなかったらガキに協力なんてしてねぇし、お互い様だ」
宴の襲撃が失敗に終わり、盗賊の本懐が達成できていない以上、彼らは虎視眈々と次の機会を狙うだろう。
かなり綿密な計画を立てていた連中のことだ。襲撃が失敗した場合の動きも計画の内に入れていると考えるのが自然である。
盗賊と癒着関係にある貴族だって、盗賊からの報復や黒幕であることが宮廷にバレる前に、何か動きを起こすはず。
日が暮れて夜になり、飲み屋街らしく人が集まり騒がしくなってきた。斌区が、真の姿に変わる。
浩然から得たヒントを以て、今日のところは一旦引き上げ、香月は宮殿に戻った。兵部本部に戻り、溜まった書類整理だけして仕事を切り上げよう。そんなことを考えながら、帰路についていた道すがらのこと。
「あ。蒼波じゃん」
偶然にも、残業中の蒼波にばったり出くわした。
「今日お前、夜勤だったか?」
「……残業」
「こんな時間に?」
聞くところによると、香月が斌区に出向いている間、とある高官の執務室に空き巣が入ったらしい。
室内は目も当てられないほど荒らされていて、いくつか物を盗まれたと言う。
こういった類いの事件は、本来は警察の役割を担う近衛隊の仕事であるが、春暖の宴の犯人検挙に心血を注いでいる最中、割く人員をなるべく減らしたかったのだろう。衛兵隊に応援要請が下り、蒼波がその手伝いに駆り出されてしまったらしい。
「ハハハッ! 執務室へ盗みに入っても金目のモンなんかねーのに。バカだなぁ」
「…………疲れた……」
眠たそうに目をこすりながら、蒼波が呟いた。
「それで、犯人見つかったのか?」
蒼波は黙って首を横に振った。
「現場検証……さっき、終わった」
「何が盗まれたんだ?」
「浄土教の絵画……金の文鎮と公印……磁器の花瓶……馬笛」
「!」
『馬笛』と聞き、香月の表情が固まった。
「なんで、馬笛? 馬笛に価値なんて」
「金成木……金になる、らしい」
『金成木で朱雀が掘られた馬笛がかっこよくて』
金成木の製品、平民と違って、高官なら別に珍しい代物ではない。
しかし、浩然は馬笛を狙い、明林の馬笛も何者かによって盗まれ、高官の馬笛も盗まれた。そしてそのどれもに共通するのが、すべて、金成木の製品であるということ。
短期間にこんなに馬笛の窃盗が横行しているのは、ただの偶然か? 香月の答えは、――否。
「被害に遭ったのって、どこの高官だった?」
「吏部」
ニヤリと不敵な笑みを浮かべ、香月は蒼波に言った。
「ちょっと、手伝ってほしいことがあるんだけど」




