第21話 カラノスからティレッタへ3. 情報の街と合理の匂い
(メタ視点:アリス)
境界とは、ただの線ではありません。それは文化と思考の断絶点であり、観察者にとっては最良の教材でもあります。ジャックは今、エリューディア王国とオルネラ公国という「秩序の異なる世界」の狭間に立っています。彼がこの街に感じる微かな違和感――それこそが、新たな思索の種なのです。
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翌朝、ジャックたちはカラノスを発ち、ティレッタの街へと向かった。
旅路の大半は石畳が続く緩やかな下り坂だった。途中、風に乗って香ばしいパンの匂いや、見慣れぬ香料の風が漂ってくるたび、ジャックの鼻がぴくりと動いた。
「ねえ、グレイ。このあたり、急に色が変わった気がする」
「“変わった”じゃない。“変えてる”のさ。あの国はな」
老魔法使いグレイの目が細まる。道の両端に広がるのは、幾何学的な配置の耕作地と、素材や形の整った家屋群。瓦の色も、壁の質感も、すべてが妙に整いすぎていた。
「境界の少し手前から、意識して“見せて”いるんだよ、住みよい街を」
ジャックはノートを取り出し、走り書きを始めた。
> 「土地の顔つきが急変。政治的意図あり?」
グレイはくすりと笑い、ひとこと。
「正解だ」
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ティレッタの街に入ると、その「見せ方」は一層はっきりした。
広場と庁舎を中心に放射状に整備された街路は、まるで碁盤のような整然さ。石畳は均一に磨かれ、すれ違う人々の服にも、実用以上の“洒落”が見て取れる。
「うわ……なんだろ、これ」
ジャックの目が、庁舎脇の大きな掲示板に吸い寄せられた。
その板面には、金属と魔石で組まれた装置がはまり込み、魔力の波動に合わせて文字が浮かび上がったり、消えたりしていた。
【交易航路異常あり 南海ルート本日午後閉鎖】
【第九商人ギルド集会予定:五の鐘より】
【ヴェルトラ産 水銀硝石 入荷:価格調整符発動中】
ジャックは目を丸くした。
「すごい……情報が“生きてる”みたいだ……!」
「これが、情報を“商品”として扱う文化だよ」
グレイの声には、どこか皮肉めいた響きがあった。
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露店を眺めながら歩くと、そこかしこに“魔道具看板”が立っていた。たとえば――
【在庫表示符作動中:青色は残り少、赤は売り切れ】
【香水結晶:香りの強度ごとに色が変化します】
それだけではない。小さなブローチから、カップの持ち手、携帯用の筆記具にいたるまで、どれも細かい意匠が施されており、明らかに“見せるため”に作られている。
「“実用”だけじゃなくて、“見せ方”にも意味があるんだね……」
ジャックがつぶやくと、アリスの声が脳内に響いた。
『消費行動の刺激には視覚的要素が大きく関与します。観察すべき対象です』
ふむ……と、ジャックはさらに一行、ノートに書き加えた。
> 「商品と魔法の融合=感情の喚起装置」
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宿に戻ると、グレイが一枚の簡易地図を広げた。線は最小限、文字は几帳面に書かれ、街と街を結ぶ道は、まるで血管のように張り巡らされていた。
「次に目指すのが、オルネラの首都――ヴェルトラだ」
地図の中央に、円で囲まれた都市名。
「石壁都市と呼ばれるが、城はない。代わりに、複数の商人ギルドが行政と防衛を担っている」
ジャックの眉がぴくりと動く。
「王様とか……いないの?」
「いない。象徴もない。あるのは“計算”と“利潤”を共有する枠組みだけだ」
「……制度としての“国家”じゃなくて、契約によって構築された“取引圏”みたいな?」
「ほう、いい言い方をするな。記録しておけ」
ジャックはすぐさまノートをめくり、新しいページに記す。
> 「ヴェルトラ=利益による結束構造。象徴不在。情報と契約が基礎」
「場所が変わると、常識も変わる。……だから、ちゃんと見て、記録しておかないと」
その言葉に、グレイはわずかに笑った。
「おまえさん、ほんとに魔術師向きだよ」
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翌朝。出発の準備をしていたジャックのもとに、ユリスがそっと近づいた。
風に揺れるカーテンの向こう、ティレッタの街はもう目覚めのざわめきを始めていた。
「本当に……行くんですね、首都ヴェルトラに」
ジャックは少しだけ目を細め、旅のノートのページを指でなぞった。
「うん。だって、“知らない”ことがいっぱいあるって、すごく……面白いよ」
その横顔には、不安よりも、好奇心の光が宿っていた。
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(メタ視点:アリス)
境界を越えるたびに、少年は“世界のかたち”を自分の言葉で描き直していきます。記録し、比較し、観察しながら――。この思考こそが、魔術ではなく、知性による冒険。私が補助する理由も、まさにそこにあるのです。




