第20話 再びの旅路1. 旅立ち
> ――この時点での彼は、まだ知らなかった。
> 旅が「歩くこと」ではなく、「変わっていくこと」だということを。
> だけど私は知っている。
> この一歩が、彼の未来を大きく揺るがす始まりになることを。
> ……観測対象ジャック、出発時刻です。
朝靄が、村の地面にふわりと溶け込んでいく。
グリム村の東端。ほんの少し先が林に続く、あの見慣れた坂道の前。
ジャックは、ずしりと重たい荷袋を背負い、深く息を吸い込んだ。
肩には革紐でくくった水袋、腰には自作の「緊急魔道具キット」。
袋の中には干し肉、ナッツ、固焼きパン。地図と方位磁針。予備の魔石は小分けにして包んだ。
何度も見返したチェックリストの最後の項目――「妹のほっぺを一回なでる」だけが、今は未完だった。
「……いってらっしゃい!」
少し遅れて、ミナが駆け寄ってきた。
その後ろから、小さなリリィがとてとてと歩いてくる。
「にーに、たびごっこ? りりぃもいく〜!」
「旅ごっこじゃなくて、本物だよ」
ジャックはしゃがみこみ、リリィの頬に手を伸ばした。つるんとした感触と、ほのかなミルクの匂い。
「でも、帰ってきたらいっぱい遊ぼう。ピカピカりんごのタワー、また一緒に作ろうね」
「うん! おっきいのー!」
その後ろで、リアナがほほ笑んでいた。
ゲイルは静かに腕を組み、少しだけ顎を引いていた。
坂道へと向かう途中、まだ薄暗い林の中。
鳥たちが目覚めの声を交わすようにさえずり始めた。
「……ほんとに、行くんだね」
ユリスがぽつりとつぶやいた。
「うん。僕らの旅が始まるんだ」
ジャックの声は、軽やかだった。けれど、その目はまっすぐだった。
その背に揺れる荷袋は、村での年月と、彼の思索と、これからの未来を詰め込んだ重みを持っていた。
ユリスも、同じように小さな背中で、村を後にする。
兄としての責任と、子どもとしての不安を半分ずつ背負いながら。
ジャックは一歩立ち止まり、ポケットから小さな紙束を取り出した。
旅のノート。最初のページには、大きく書かれた一文。
> 「実戦こそ、最良の魔法訓練である――グレイ師匠談」
「よし、今日は何マイル歩けるか、記録しとこう」
ユリスが「えっ、記録するの?」と驚いて言うと、ジャックは胸を張った。
「もちろん。旅ってのは、歩いてる間にいろんなことが見えるんだよ」
「……たとえば?」
「たとえば、木の葉の動き方が風魔法のヒントになったり。あと、水の流れとか、音とか」
「それって、全部魔法の勉強になるの?」
「なるさ。自然の観察から法則を探して、それを言葉と動作で再現するのが魔法なんだから」
ユリスはきょとんとした顔で、「そ、そうなんだ……」と、やや半信半疑だったが、
その表情には少しだけ期待の色が浮かんでいた。
二人の背中が、朝靄の中にゆっくりと消えていく。
その先には森と丘と、まだ見ぬ道が続いていた。
> ――それでは、観測を再開します。
> 成長ログ、ユリスとの共同行動フェーズへ移行。
> この旅が、彼にどんな変化をもたらすのか――楽しみですね、私も。




