第19話 村への一時帰還3. 村のあたたかい迎え
> 『“ただいま”の意味は、時として“自分は変わった”という小さな宣言だったりします。
> とくに、この世界で“責任”と呼ばれる重たい荷物を、自らの意志で背負おうとする子供にとっては――』
> ――AIアリスの観察メモより
坂道の向こうに、あの素朴な屋根がいくつも見えてきた瞬間だった。
ジャックの足取りが、わずかに弾んだ。手にした旅袋が重たく感じなくなったのは、きっと気のせいではない。
「……グリム村、だね」
背後で呟いたのは、グレイ。穏やかに目を細め、灰色のマントの裾を風に揺らしていた。
そのときだった。道端の畑で鍬をふるっていた中年の男が、こちらを見つけてピタリと動きを止めた。目をぱちくりと見開いたあと、大声で叫んだ。
「おおっ!? ジャック坊じゃねぇか! おーい、帰ってきたぞーッ!!」
ジャックは思わず苦笑した。隠れる暇も、照れる余裕もない。
次の瞬間には、村中にその声が駆け巡っていた。草を結っていた娘が飛び出し、遠くで牛を引いていた老人が手を振り、何人もの人影が土道にあらわれた。
「おかえりー!」「ジャック坊、おっきくなったなぁ!」
あちこちから笑顔が飛び交い、まるで収穫祭の前ぶれのような賑やかさだ。
ユリスとミナは目をまんまるにして、その光景を見つめていた。
「すごいね……」
「ジャック、人気者……」
「まあ、悪い気はしないかな」
ジャックは頬をかきながら、照れたように笑った。だが、心の奥底で小さく胸を撫で下ろしていたのも事実だ。
(ちゃんと、待っててくれてたんだな……)
やがて、村の集会場の前まで歩を進めたときだった。
若い男がひょいと飛び出してきて、ジャックの肩をガシッとつかんだ。
「なあ! “スマイルベイン”ってやつ! あれ見てた旅の商人が、腰抜かしてたぞ! “あんなもん見たことねぇ”って!」
「あ、はは……そ、そう?」
ジャックは苦笑いでごまかしたが、思わず口元がほころんでしまう。
“フリップボード”に“スマイルベイン”、村に置いてきたあの魔道具たちが、どうやらちゃんと動いていたらしい。
グレイがふと口を開いた。
「ふむ、思ったよりも早かったか。旅に出ることにして正解だったな」
その横顔には、珍しくほんのりと満足げな表情が浮かんでいた。
家は、まるで何も変わっていなかった。
けれど、変わったのはそこに帰ってくる自分自身なのだと、ジャックは知っていた。
囲炉裏の火が、まだ昼だというのにぽうっと赤く揺れている。
その前で、リアナがにこやかに包丁をふるい、ゲイルが火吹き竹で炭を調整していた。
「母さん……! 父さん!」
ジャックの声に、リアナがくるりと振り返った。そして、すぐに彼の元へ駆け寄ってくる。
「ジャック……!」
しっかりと抱きしめられるその一瞬、ジャックはぐっと涙腺をこらえた。
「お帰りなさい。あら? ちょっと日焼けした?」
「えへへ。これ、お土産」
ジャックは袋から香辛料と包まれたイノシシ肉を取り出す。
「まあ……! いい香り!」
リアナが目を輝かせるのを見て、ゲイルもふっと口元を緩めた。
「……うまそうだ」
その一言で、家の空気が一段と柔らかくなる。
けれど、その空気が少しだけ張り詰めたのは、次の瞬間だった。
ジャックの視線に合わせるようにして、グレイが静かに一歩前に出る。そして、そっと手で合図した。
ユリスとミナが、互いに顔を見合わせたあと、小さく頷きながら進み出る。
「……ユリス、7歳です」
「ミナ、4歳です……」
ふたりとも、まるで綿毛のように小さくて、声も震えていた。
だが、その背筋は不思議とまっすぐだった。
リアナは、そんな二人をやさしく見つめ、そっと膝をついた。
「……ようこそ、我が家へ」
それだけで、ミナの目にうっすら涙がにじむ。
ゲイルは多くを語らず、ただ黙ってうなずき、薪をくべなおした。
新しい家族のはじまりは、そうして静かに、けれど確かに、幕を開けた。
> 『“家族”という言葉は、単なる血のつながりでは定義できません。
> 心を分かち、役割を知り、互いを必要とすることで――ひとは初めて、誰かの“居場所”になるのです』
> ――AIアリスの観察メモより




