第18話 辺境領の領都5.選択の岐路
> アリスのメモログ(暗号化済)
> 「選択」とは、単に道を分ける行為ではない。そこには、代償と可能性がセットでくっついてくる。
> 今、この瞬間。
> ジャックの中で、“優先順位”という名の羅針盤が静かに回転を始めていた。
***
アスガリオンの夜は冷えていた。
石造りの宿の窓から、遠く岩山を撫でる月光が差し込んでいる。
その光の中で、ジャックはノートを閉じた。ペンの先に迷いが滲んでいたからだ。
「旅の途中で連れて行くのは無理だって、わかってる……」
ぽつりと呟く声。隣のベッドでは、ミナが小さく寝息を立てている。
「でも、あの子たちを置いてはいけない」
ジャックは顔を上げた。
どこかで聞いたような大人の言葉じゃない。胸の奥から湧いてきた、自分だけの言葉だった。
「一度、グリム村に戻ろう。二人を安全な場所に預けてから、また旅を続ければいい」
その決意は、自然と口をついて出た。
「――本気か?」
低く重い声。扉の陰にいたグレイが、ゆっくりと部屋に入ってくる。
その目には、いつもの皮肉も笑みもない。
ジャックは迷いなく頷いた。
「妹がいるから、わかるんだ。手を離しちゃいけないときがある」
しばらく、沈黙。グレイの瞳がわずかに揺れた。
やがて、彼はうなずき――ほんのわずか、目を細めた。あれは、きっと“肯定”だった。
***
翌朝。小さな広場のベンチに、ジャックはユリスとミナを呼び出していた。
朝靄の中、二人は湯気の立つパンを頬張っている。
「……ねぇ、二人とも」
ジャックは言葉を選びながら切り出した。
「グリム村ってところがあるんだ。僕の家がある村なんだけど……来てみない?」
ユリスは、もぐもぐと咀嚼を止め、ジャックの目を見た。
その瞳の奥には、“疑い”でも“警戒”でもなく――“確認”があった。
何かを確かめるように、数秒沈黙したあと、小さくうなずく。
「……行く」
それを見たミナは、もう何の迷いもなく、満面の笑顔で頷いた。
「ミナ、お兄ちゃんのうち行く! わーいっ!」
「うち」――という言葉に、ジャックの胸が少しだけ熱くなる。
***
夜。宿の灯りが消えたあと、ジャックはミナの小さな手をそっと握っていた。
ちいさな指が、安心したようにジャックの手に絡む。
「放さないよ、絶対に」
心の中で、そう誓う。声に出したら壊れてしまいそうで。
そのとき、耳の奥で、いつもの声が響いた。
> 「計画に狂いが生じたわね。でも……あなたは、それを選んだ」
そう、狂い。予定外。予想外。
でも、それはどこかで予期していた“例外”だったのかもしれない。
ジャックの脳裏に浮かんだのは、妹リリィの笑顔。
「にーに!」と呼んで飛びついてきた、あの無垢な声。
そして、その笑顔の隣に――ミナの小さな手が重なっていた。
> アリスのメモログ(再掲)
> 世界は広い。そして、その広さを知るためには、
> 「何を連れていくか」を、自分で決めなければならないのよ、ジャック。




