第18話 辺境領の領都4. 食卓の灯りと決意
> 【AIアリス/冒頭モノローグ】
> 人は、旅の途中でさまざまな出会いと別れを経験します。そして時に、自分の小さな世界が、どれほど広い現実のほんの一片でしかなかったのかを知るのです。
> ……ジャック少年にとって、この夜の灯りは、そんな気づきのはじまりでした。
――小さな安宿の、さらに小さな部屋。
天井にはすすけた梁。壁は薄く、隣室のくしゃみすら聞こえそうだった。
「宿の主に掛け合ってきた。夕食はなんとかなるぞ」
グレイがそう言って戻ってきたとき、ジャックはボロ毛布の下で身を寄せ合う兄妹を見つめていた。
「ありがと、グレイさん」
宿主が持ってきたのは、金属の皿に乗った温かいスープと固めの黒パン。にんじんと豆、それに……じゃがいも、かな?
決して豪勢ではない。けれど、湯気と香りが、部屋の空気をふわりと和らげていく。
ミナが、じっとスープを見つめた後、おずおずとジャックの袖をつまんだ。
「……たべて、いいの?」
「もちろん。あったかいうちにね」
そう言って微笑むと、ミナはぱっと顔を明るくして、ぎこちない手つきでスプーンを取った。
こくん。
一口、二口……そして――にっこり。
ミナが、ようやく笑った。
その瞬間、ジャックの胸の奥に、温かくて柔らかいものがぽっと灯った。
「……ありがとう」
それまで無言でスープをかき込んでいたユリスが、唐突に小さく呟いた。
照れくさいのか、それ以上は何も言わない。
けれど、その一言に、どこか張り詰めていた空気が、すっとほどけた気がした。
ジャックはパンをかじりながら、内心でアリスに話しかける。
《アリス、どう思う? この子たち、どうしたらいいのかな》
《現在の状況では、彼らをこのまま放置するのはリスクが高いと判断します。あなたがすべきは、行政機関――この都市で言えば衛兵詰所への報告でしょう》
《やっぱり……》
ミナがパンの端を両手で大事そうに持っているのを見ながら、ジャックはそっと息を吐いた。
翌朝。
まだ朝靄の残る通りを、ジャックたちはアスガリオンの街区の一角――衛兵詰所へ向かっていた。
入り口に立つ兵士に事情を話すと、彼は一度奥に引っ込んでから、記録を確認して戻ってきた。
「なるほど。山賊事件の報告、確かにあるな。お前さん、ジャックと言ったか。村からの報告者のひとりだな」
「はい。グリム村の……農家の子です」
身分を問われる前に、あえて自らを“農家の子”と名乗る。貴族の街では、それだけで態度が変わることもあるのだ。
幸い、対応してくれた衛兵は実直そうな中年で、態度を崩すことはなかった。
「ふむ……問題は、その子たちの身柄だな。孤児院の空きは……」
彼は脇の魔道通信盤に話しかけ、数分後、眉をひそめた。
「駄目だ。定員いっぱいだそうだ。それに……」
「それに?」
「……この子らが“保護された者”か、“登録された孤児”でないと、預かれないらしい。規定ってやつだ」
制度の壁。いかにも“都市の仕組み”らしい不親切さだった。
グレイは一つうなり、思い出したように言った。
「王都にいたころの知人で、こちらに移った者がいたはずだ。確か、孤児の面倒も見ていたが……名は……エルディン・ロヴァンだったか」
衛兵の一人が調査を引き受けてくれたが、すぐに残念な知らせが届いた。
「ロヴァン氏は旅に出たまま、今は隣国ステラーネに滞在中とのことです」
一つ、また一つと、希望の枝がぽきぽきと折れていくようだった。
ユリスは黙っていたが、肩に乗せた妹の体温が、どこかしがみつくようで、ジャックの胸を締めつけた。
「……アリス、どうしよう。世界って、思ったより冷たいのかな」
《……それでも、あなたは灯りになれる。そう判断しています》
> 【AIアリス/ラストモノローグ】
> 世界は広く、そして時に、非情なまでに冷たい。けれどその中で、誰かが誰かを思いやる限り――ぬくもりは決して消えません。
> 少年ジャックは、まだ幼いその手で、小さな火を掲げようとしていました。
> ……それが、やがて多くの人々を照らす灯りになることを、私は知っています。




