第17話 師匠との旅4. 岩山の都アスガリオン
> 【アリス・モノローグ】
> 「“広さ”というものを、あなたはどう感じ取りますか? 地図上の距離、建物の大きさ、人の数、言語や文化の多様性……。けれど、ジャックが感じたのは、そういったものをすべて飲み込んでなお余る“世界の深さ”だったのです。」
ごごごごごご、と大地がうなりをあげるような車輪の音が響く。
目の前には、岩山に囲まれた巨大な都市――アスガリオンの姿がそびえていた。
「……すっご……」
ジャックは思わず口を開けたまま、都市の門を見上げた。
そこにはまるで砦のような、高さ十メートルはありそうな石造りの門が築かれており、門上には矢狭間と呼ばれる小窓が並んでいる。兵士が中を覗いているのも見える。
門番たちは重厚な鎧を着ており、背には短杖と細剣の両方を装備していた。魔法と武具が混在するその姿は、グリム村の衛兵とはまるで異なる。
門をくぐると、そこに広がっていたのは運河が交差する巨大な街。水が都市の中を流れ、魔道式の水車がくるくると回っていた。
建物はどれも堅牢で、岩石と金属が組み合わされている。が、無骨ではない。窓枠には精緻な鉄細工が施され、魔道のランタンが昼でも薄く光を灯していた。
「ここって……ほんとうに、町?」
「厳密には“都市”ですね」と、脳内でアリスの声が答えた。
> 「この都市には、現在およそ五万人が居住しています。魔道水路による農産流通と、鉱物資源の集積地として知られており……」
「ご、五万人……!?」
ジャックは腰が抜けそうになった。グリム村の人口なんて、せいぜい二百人前後だ。それがこの都市では、通りを歩くだけでそれ以上の人数とすれ違いそうな勢いなのだ。
「ひとが、いっぱい……魔法も、いっぱい……!」
都市を歩く人々の多くは、腰に魔道具のポーチを提げていた。子どもですら、小さな指輪型の魔道具を身に着けて遊んでいる。
石畳の道を進む馬車も、前輪に魔力石がはめ込まれており、補助的な浮遊装置で揺れを抑えているようだった。
グレイはそんなジャックを見下ろし、くつくつと笑いながら言った。
「口が開きっぱなしだぞ、ジャック」
「あっ……」
ジャックは急いで口を閉じたが、目はまだ泳ぎっぱなしだった。
市場に入ると、そこはさらに混沌としていた。肉、魚、香草、魔道布、精霊硝子……
さまざまな品が魔法で冷却され、浮かび、光り、音楽すら流して売られていた。人間も獣人も、色とりどりの商人が声を張り上げていた。
魔法職と、剣を帯びた兵士が混在するこの市場。
秩序がありながらも、ざわざわとした熱を帯びている。
グレイはいつものように淡々と、香草と保存肉を選びながら、すれ違いざまに一人の衛兵に声をかけた。
「北の峠で、山賊の遺留品を見つけた。焚き火跡と包帯、それに壊れた短杖も。座標は──」
「……! 最近そのあたりで襲撃があったと聞いています。ご報告、感謝します。領主府にて記録させていただきます」
衛兵はピンと背筋を伸ばし、すぐに小型の巻物に記録を始めた。
ジャックは思わず、グレイを見上げた。
「……言わなくていいの?」
「十分さ。あとはあの兵隊が仕事をする」
そう言って、グレイは涼しい顔で屋台のスパイス詰めを受け取り、支払いを済ませた。
ジャックの中で、グレイの印象がまた一つ変わった。
ただの隠遁者ではない。この人は、社会と今も“つながって”いる――。
夕暮れ、石造りの宿の二階、窓から赤く染まる都市を見下ろしていた。
岩山が陽を浴びて、まるで炎の壁のように赤く輝いている。
その下に広がるアスガリオンの街並みは、オレンジ色に燃える水路の迷宮だ。
「……この世界って、こんなに……広かったんだ」
思わずこぼれたジャックの言葉に、隣で窓際に立つグレイが静かに笑った。
「ふふ、これでもまだ、ほんの入口だ。世界は……広い。だが、知ろうとする者には、必ず扉が開く」
その背中は、夕日に照らされながら、どこか懐かしい温かさを帯びていた。
> 【アリス・モノローグ】
> 「この日、ジャックの世界は確かに広がりました。物理的な距離以上に、“人がいる”という現実と、“知らなかった可能性”の存在。それを感じ取ったとき、人は子どもから、“探求者”になるのです――。」




