第15話 修行の延長と座学の開始1:修行延長の宣告
> 〈AI『アリス』起動記録:ログ番号A15-01〉
> 知識は、単なる情報の蓄積ではありません。それは、現象を「意味あるもの」として理解し、選択を可能にする鍵です。そして、力とは、正しく選ぶための「余地」のことでもあります。
> 本日は、ジャックがその扉の前に立つ日です。
春風が、葉の端を軽やかに撫でていく。若葉が小さく揺れ、小鳥のさえずりが間を縫って庵の屋根に届いた。森の奥、グレイの庵では、朝から囲炉裏の煙がくすぶっていた。薪の爆ぜる音が、ときおり静けさを破る。
その囲炉裏の傍らで、ひときわ小さな影が汗をぬぐった。ジャック、八歳。元ITエンジニア、現・修行中の魔法見習い。
「薪、割り終わりましたーっ!」
片手に斧を抱えて、どこか得意げにジャックは叫んだ。春の光に当てられた額には、細かな汗がにじんでいる。手のひらには豆、腕にはほんのり筋肉。少しずつ、けれど確実に鍛えられた成果があった。
「ふふ……これで朝の仕事も終わり。さあ、今日こそ試作に入ろうかな。電位差を利用した連続放電モデル……名前は、『プラズマ・オーブ改・雷鳴号』ってとこかな!」
浮かれた調子で囲炉裏に腰を下ろし、ノートを開きながらぶつぶつと呟き始める。実験の計画が進んでいるのは確かだ。だが、いつもと様子の違う人物が一人。
グレイ――元・王都の魔法研究院所属の隠遁魔法使いであり、ジャックの師匠。今日の彼は、なぜか朝から表情が硬い。斧を手にしていたジャックから道具を受け取ると、囲炉裏の火を見つめたまま、重い口を開いた。
「……ジャック。今日の分はよくやった」
「えへへ。ありがとうございます!」
元気に返すジャック。だが、その次の言葉に、彼の笑顔は凍りついた。
「だが、悪いが……修行は、もう一年延長する」
「……えっ? ま、また!? 一年って……また!? えっ、何で!?」
慌てて身を乗り出すジャック。その反応も、もはやお約束。グレイはわずかに口元を歪めるが、眼差しは真剣そのものだった。
「理由は簡単だ。今のお前には、力はある。だが、知識が足りん。己の力を理解せずに進めば、いずれ取り返しのつかないことになる」
「う……でも、僕、いろいろ試して――」
「試すのと、理解するのは違う」
静かだが断固とした言葉に、ジャックは口をつぐんだ。囲炉裏の火が、ぼっ、とひときわ大きく燃え上がる。灰が空中に舞い、赤く揺れながら消えていった。
「これからは、座学も行う。基礎魔力学、錬金術、魔法生物学――お前がこの世界で生き、学び、誰かを守るなら、必要不可欠な知識だ」
「さ、座学……? つまり、授業ですか?」
「そうだ。毎朝の薪割りのあと、囲炉裏の前での授業になる。ノートを使って書き、覚えること。構造と理論を積み上げ、魔法を“言葉”として扱う力を身につけてもらう」
ジャックが唇をかみしめる。彼にとっては、力の実感こそが実験の喜びだった。けれど、頭ではわかっている。見えない危険を見誤れば、家族にも、妹にも、害が及ぶことを。
> 『アリス、意見は?』
その瞬間、脳裏に響いたのは、いつもの無機質で静かな声だった。
> 「異議はありません。現在のあなたは、“再現性なき試行”の段階にあります。構造的理解なしでは、進歩にも限界が生じます」
AI。かつての世界の技術の結晶であり、今や彼の思考の一部。彼女すらも、グレイと同じ意見を述べていた。
「……わかりました」
ジャックは肩を落としながら、しかしはっきりと答えた。その声には、わずかに悔しさが混じる。けれど、それ以上に宿っていたのは、受け止める覚悟だった。
囲炉裏の火が、ふたたび小さく音を立てて跳ねた。火の粉が、くるくると空中を舞う。その向こうに、ジャックはぼんやりと、広がる未来を見ていた。
新たな一年が始まる。今度は、知識という名の試練とともに。
> 〈AI『アリス』記録追記:ログ番号A15-01〉
> 「知識」とは、世界と対話するための共通言語。
> ジャックにとってそれは、家族を守る術であり、可能性を拓く鍵でもある。
> ……それゆえ、私は記録し続ける。彼の歩むそのすべてを。




