第13話 師匠との厳しい修行5. 受け継がれる知
(モノローグ:アリス)
> 『もしあなたが、“天才”という言葉に夢を見ているなら――これはその幻想を静かに打ち砕く物語です。
> 魔法の才能を持ちながら、なお修行に苦しむ少年の、今日の一日を覗いてみましょう』
---
グレイの庵の朝は、しんとした空気に包まれて始まる。朝露の香りが鼻をくすぐり、かすかな鳥のさえずりが耳元で踊るように響く。
「ジャック、今日はひとつ、繊細な術を教えよう」
グレイが杖をひと振りすると、庵の外れにある小さな囲いの中に、ふわふわの毛を逆立てて威嚇する小獣――アカトゲリスが現れた。体は小さいが、魔力に敏感で、すぐに暴走することで知られている。
「これは《マジカル・コーミング》。暴れる魔物を安らかにする術だ。力で黙らせるんじゃない。“命に優しく触れる”必要がある」
グレイの言葉に、ジャックは小さくうなずき、膝の上に開いたノートに“命に優しく触れる”と書き加えた。
「やってみろ」
差し出された分厚い魔術書のページを、ジャックは真剣なまなざしでめくる。単なる術式だけでなく、リスの感情の変化、耳の動き、目の潤み具合までもが丁寧に描かれている。ページの端には、震える手で書かれたような小さなメモが添えられていた。
《焦るな。まず相手の息に合わせて。》
「……これは、ただの魔法じゃないんだな」
ジャックの呟きにアリスが静かに答える。
> 『感情と魔力のリンク――この世界では、術式だけでは完結しない魔法が存在する』
呼吸を整え、ジャックはゆっくりと手をかざした。
「セイジズアシスタント……エンライトメント、フォーカス・ブースト、セーフティ・フィールド、展開」
淡く光がほとばしり、小さなリスの瞳がぱちぱちと瞬く。ジャックの掌から流れる魔力が、まるで毛並みを撫でるように伝わっていく。
……が、次の瞬間。
「ピギィィィッ!」
リスが全力で跳ね上がり、グレイの頭に飛び乗った。老魔導士が眉をひそめる。
「優しさが足りん」
「うう……ごめん」
「お前の魔力は強すぎる。だが、それを“どう伝えるか”が肝要だ。強い力を持つ者ほど、細やかさが必要になる」
グレイの言葉に、ジャックは目を伏せた。怒られたからではない。その意味が、少しだけ分かってしまったからだ。
午後、ジャックは何度もリスと向き合った。最初は跳ね返され、次は毛を逆立てられ、三度目にはリスが寝たふりをして無視された。
けれど、四度目――
「……これで、どうだろう」
そっと撫でるように放たれた魔力が、リスの背中をふわりと包み込む。リスが一瞬だけ、瞬きをした。怒っていない。怖がってもいない。ただ、目を閉じた。
「……眠ったな」
「ええ。たぶん、“安心した”んだと思う」
「ふん。まあ、及第点だ」
いつも通り素っ気ないグレイの声の裏に、どこか小さな称賛がにじんでいた。
夕方になり、ジャックは囲炉裏の傍に座り、ノートを開く。
ページの端にこう記す。
《魔力制御と集中の基礎。補助魔法の段階的応用。暴走と穏やかな制圧。相手の感情を読む力も、魔法のうち》
隣ではリリィのピカピカりんごのつみきタワーが、かすかにリンゴの香りを漂わせていた。家族の声は遠く、ただランプの明かりがノートの文字を照らしていた。
ジャックは黙々と筆を走らせる。何度も失敗し、何度も立ち止まり、それでも書く。今日の記録を、明日の自分へと渡すために。
(モノローグ:アリス)
> 『彼はまだ、知識の渦の入口に立っているだけ。だが、その一歩は確かに、未来の魔導士の礎となるだろう』




