第11話 父と僕と師匠の魔獣討伐1. 村に迫る脅威
――アリス・メモログ開始。
ここは〈グリム村〉。王国の辺境に位置し、平穏で素朴な営みに満ちた地。だが現在、その静寂が揺らいでいる。
原因は、魔獣。
被害は既に村の東端から西側まで広がっており、緊急の対処が求められている。
私の分析によれば――これは、ただの野生動物による事件ではない。
ジャック、これは「命を守る力」の真価を問われる局面だよ。
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「またか! うちのヤギが、朝にはもう、首輪ごと消えてたんだ!」
グリム村の広場は、今朝からざわついていた。
収穫用の籠が放り出され、畑道具を手にしたままの村人たちが、まるで市場のようにわらわらと集まっている。誰もが口々に不安を吐き出していた。
「夜に鳴き声がしてね……見に行ったら、柵がこっぱみじんだったのよ!」
「草が一面、踏み荒らされてたぞ。蹄の跡がひとつもない。まるで、影みたいに動いてたって若い衆が――」
「影、ですって?」
その言葉に反応したのは、よぼよぼとやってきた村の長老――セスタスだった。腰を曲げながらも、その目は意外なほど鋭い。
「おそらく〈影追い犬〉の仕業だろうな」
「げ、幻の獣じゃないか……!」「名前だけは聞いたことが……」
村人たちがざわつき始める。だが、セスタスはゆっくり首を横に振った。
「わしも姿を見たわけではない。昔、魔術士団が使っていた記録の中に名前があった。気配だけ残すような魔獣らしい。だが……確証はない」
「ええい、これじゃ畑にも出られやしねえ!」
「夜も安心して寝られんわ!」
村人たちの声には、焦りと苛立ち、そして恐れが混ざっていた。
かつては野盗が出たこともあったが、魔獣――それも姿が見えないとなれば、話は別だ。
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「……つまり、村の安全保障が危機的状況にあるわけか」
囲炉裏の前で、ジャックはアリスの説明に腕を組み、小さくうなずいた。
囲炉裏の炎はパチパチと音を立て、煮込み鍋からは干し菜の香りが漂ってくる。だが、彼の顔は普段の穏やかさを失っていた。
「アリス、被害の傾向は?」
『直近三日間で被害が出た家畜の数は七。位置関係から分析すると、東端から南部の畑地帯、そして昨晩は西の水場へと移動している。パターンとしては、明らかに村をぐるりと囲むように移動しているね。』
「囲んでる……? 待ち伏せ? それとも……」
ジャックの脳裏に浮かんだのは、静かに膨らむ恐怖のイメージ。獣が、村を一歩ずつ包囲していく光景だった。
そのときだった。
軋む戸の音とともに、納屋のほうから低い声が聞こえた。
「……昔の血が、騒ぐな」
ゲイルだった。
埃をかぶった木箱を開け、中から銀に曇った剣をゆっくり取り出す。柄には古い布が巻かれ、刃の縁には、かすかに刻まれた傷が光っていた。
彼はそれを腰に下げ、リアナのもとへ向かう。
「本当に……行くの?」
リアナが静かに尋ねる。ゲイルはわずかにうなずいた。
「村の誰かがやられる前に、俺が行く」
それだけ言って、ゆっくり戸を開ける。
風が吹き抜け、剣の鞘が小さく揺れた。
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「待って、父さん!」
慌ててジャックが飛び出す。だがゲイルは振り返らず、ただ背中で語るように歩いていく。
その姿を見送ったあと、ジャックはすぐさま決意を固めた。
「……グレイのところへ行こう。アリス、道の最短ルートを」
『了解。北東の畑を抜ければ、いつものルートより七分短縮可能。雨上がりなので滑らないようにね。』
「了解!」
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苔むした森の中、グレイの庵に駆け込むと、老魔法使いは蒸した薬草の香りの中で、すでに湯を沸かしていた。
「……何か、来ると思っていたよ」
「お願い、グレイ! 父さんと、一緒に行ってほしいんだ!」
ジャックは膝をついて、まっすぐに頭を下げた。
いつもの理屈屋ぶりは影を潜め、ただ必死な少年の表情だけがそこにあった。
グレイは、しばらく目を閉じたあと、小さくため息をついた。
「……お前が行くならな」
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翌朝――村の広場に集まったのは、ゲイルとグレイ、そして志願した五人の村人たち。みな手には斧や槍、あるいは弓を携えている。
なかには普段、炭焼きをしている青年の姿もあり、彼は緊張した面持ちで剣の柄を握っていた。
「……行ってらっしゃい。ゲイル、グレイ……それから、あなたたちも」
リアナは赤子を抱きながら、一同に向かって静かに言葉を送る。
「命を奪うことが正しいとは限らない。それでも――守るべきものがあるのよ」
その声に、誰もがはっとしたように立ち止まる。
風が一陣、広場を抜け、リリィの白い産着がふわりと揺れた。
ジャックは、手のひらの中でこっそり《プラズマオーブ》を発動させた。小さな光の球が、淡く脈打っていた。
これは、破壊する力ではない。
きっと、命を守るための――始まりの光だ。
――アリス・メモログ終了。
この日、ジャックはまだ知らない。
「守る」という言葉が、いかに重く、そして深い意味を持つのかを。
だが、その第一歩は、確かにここから始まっていた。




