第10話 文字を覚えるための魔道具2. 前世の知識と発想の転換
> 《アリスのメタ語り・冒頭》
> 情報は、ただ蓄積するだけでは無意味です。
> それが誰かの理解へとつながるとき、初めて“知識”と呼ばれます。
> これは、ある少年と、ある村の子どもたちが紡いだ——学びと遊びの物語。
囲炉裏の火は、まだくすぶったままだった。灰の中に赤い芯が残り、ほんのり温かさを残している。
ジャックはその前にぺたりと腰を下ろし、膝に広げたノートにペンを走らせていた。手元の紙には、ぐにゃぐにゃとした文字の断片、記号のような図形、何やら機械の部品を真似たような図が踊っている。
「……たとえば、“あ”はここ。“い”は……ここに……いや、角がありすぎるな」
ひとりごとのように呟きながら、彼は描いた図を見直す。子どもとは思えない真剣な目つきで。そして時折、眉をひそめたり、ふっと笑ったり。
背後の棚には、色とりどりの木片が立てかけられている。それらは削られたり、塗られたり、何かの形を模していたり。まるで積み木のようでもあり、パズルのピースのようでもある。
「前の世界で見た“知育アプリ”……。音と動きで覚える仕組み。あれ、すごく理にかなってたんだな」
声には感嘆が滲んでいた。
そう——彼は思い出していた。前世、日本という国の、ITエンジニアとして働いていた頃のことを。
電車の中で見かけた、スマホ画面に夢中になる子ども。ぴこぴこと音が鳴るたびに、子どもは嬉しそうに笑い、指で文字をなぞる。自然に、楽しそうに、文字を学んでいた。
(あれをこの世界に“置き換える”には……)
ジャックの脳内に、いくつもの図案が浮かび上がる。五十音表風の配列——いや、この世界の言語構造に合わせた記号群。板に刻まれた溝と、それにぴったりはまるパーツ。正しくはめれば光が灯る……間違えたときには、ただ“沈黙”するだけ。
アリスが脳内で静かに告げる。
> 「名称候補:識字訓練のための知覚刺激装置」
> 「通称:ことばの石板」
「名前が長い……けど、いいかも」
ジャックはくすっと笑った。
「これなら間違っても怒られない。怒られないけど……正解したら、ちょっと嬉しい。そんな道具にしたいんだ」
ペンを置いて、彼は囲炉裏の炎の名残に目を落とす。
自分の妹、リリィに使わせるためのもの。けれど、それだけじゃない。
広場で困っていたティルの姿が、頭に浮かんだ。
読み書きが苦手で、でも恥ずかしくて聞けない——あの、もどかしい背中。
「“楽しい”って感情は、何かを学ぶとき、すごく強いんだよな……」
ぼそっと、そう呟いた。
*
朝の光が森の縁を照らし始めたころ、ジャックはもう小道を歩いていた。手には、ノートと設計図、そして試作品のパーツを入れた袋。向かう先は、グレイの庵。
苔むした石段を上がると、戸の前に立っていたのは、例の隠遁魔法使い。グレイは無言でジャックを見つめた後、いつものように首をちょこんと傾けた。
「おまえさん、朝からずいぶん熱心だな。……何を作りたい?」
ジャックは胸を張り、言った。
「人に教えるための、魔道具を作りたいんです。文字を、楽しく覚えられる道具を」
グレイは一拍おいて、ゆっくりとうなずく。
灰色の瞳に、微かな笑みが浮かんだ。
「教えるとはな、ジャック。知識をただ渡すことじゃない」
「……はい」
「相手の目線に……降りてやることだ。それができるなら、おまえは……なかなかの教師だぞ」
その言葉に、ジャックは思わず顔を赤らめてうつむいた。
でも、胸の奥が、ポッと温かくなった。
> 《アリスのメタ語り・ラスト》
> 教えることは、ただの一方通行ではありません。
> “分かってもらう”ためには、自分自身が理解を深め、共感し、そして工夫する必要がある。
> それはすでに、彼にとって——“学びの第二段階”なのです。




