第10話 文字を覚えるための魔道具1.広場の子どもたちと文字への苦手意識
> *『学ぶという行為は、時に痛みを伴います。けれど、痛みを乗り越えた先に得られる“つながり”こそ、知識の本質です。……こんにちは、アリスです。今回の物語は、小さな村で芽吹いた、大きなひらめきのお話です。』*
朝の光が広場をやさしく照らしていた。
鶏の声がどこからか聞こえ、粉を練る音と、洗濯物が風になびく音が重なる、そんなのどかな時間。
村の中央にある石張りの広場。その隅に、ひとりの少年が座り込んでいた。
まだ六つのジャックだ。小さな膝の上には、木製の板と、そこに挟まれた紙のような薄い羊皮。表面には、びっしりと不思議な記号や矢印が描かれていた。
「よし……ここをもうちょっと薄くして、石板に魔力が通る道を彫って……」
彼は細い木炭を片手に、真剣な表情で何かの構造を描いている。時折唸り、そしてまた描き直す。
「また変な絵描いてる~!」
ぱたぱたと駆けてきた二人の子どもが声をあげた。
ララとサミーだ。年はジャックと同じくらい。小麦色の頬と素足で走る元気な子たち。
「これ、何かの地図? それとも虫の迷路?」
ララが屈み込んで覗き込む。
「違うよ。これは……文字を覚えるための魔道具になるかもしれないんだ」
ジャックは苦笑しながらも、絵を隠そうとはしなかった。
「ふぅん……魔道具って、リリィちゃんのため?」
「うん」
ジャックは少しだけ視線を落としながら、言葉を選ぶように呟いた。
「妹には、ちゃんと……読み書きができるようになってほしいんだ」
言葉は控えめだったけれど、その心の奥にはもっと強い想いがあった。
(ひとりぼっちになってほしくないんだ)
(話せる相手がいなくて、何かを伝えられなくて……そんなふうに世界から置いていかれる子に、リリィをしたくない)
けれどそれは、口にするには少し照れくさすぎる気持ちだった。
広場の向こう、少し日陰になった大きな木の根元では、ティルという少年が座っていた。
大きめの木板の上に木炭で文字をなぞっている。けれど、眉間には皺。口も半開きで、今にもため息がこぼれそう。
「ぐ……ぐ……ぐぅ? あれ? これは……く?」
ティルは「グ」と「ク」の違いがわからなくなっていたらしい。
「オ」と「ヲ」の違いも曖昧で、先ほどから何度も書き直しては、どんどん頭がこんがらがっている。
「うーん……なんで文字って、こう……ややこしいんだろ」
ララがぽつりとつぶやいた。
「ちょっと形が違うだけで、まるっきり別のものなんてさ。絵じゃダメなのかなぁ」
その声に、ジャックの中で何かがひっかかった。その瞬間――。
> *「文字認識能力は、訓練によって形成されます。視覚刺激と音声記憶の連動が鍵です」*
頭の中に、澄んだ声が響いた。
アリスの声だった。常に冷静で、淡々としていて、それでいてどこか優しい。
(音と視覚の連動……?)
(だったら……!)
ジャックはパッと顔を上げ、思わず木炭を握り直した。
「遊びながら覚えられる仕組み……作れるかもしれない!」
ララがきょとんとしてジャックを見つめる。
「遊びながらって、何? ゲームみたいなやつ?」
「うん、そう。楽しくて、間違えても怒られなくて、でもちゃんと覚えられるやつ」
ジャックの声には、いつになく熱がこもっていた。
リリィのために始めたことだったけど――
その輪は、少しずつ広がっていこうとしていた。
広場に響く子どもたちの笑い声と、どこか遠くから聞こえる風鈴のようなアリスの声。
知識という名の種は、いま、静かに芽を出そうとしている。
> *『知識を分け与えるということ。それは、誰かの不安を、安心に変える行為です。……そして今、ジャックは気づき始めました。未来は“誰かと共有した記憶”で、育っていくのだと。』*




