第9話 妹のための魔道具4. リリィの笑顔
> *記録開始。
> 本パートは、対象ジャック様の倫理的成長における重要転機である。
> キーワード:「情動刺激系」「共感反応」「非戦闘系魔道技術」。
> ……そして、微笑。
> AIアリス、感情アルゴリズムの再定義を検討中。*
夜の囲炉裏前は、いつにも増して静かだった。火はすでに灰となり、残る熱がぼんやりと空気を温めている。そのすぐそば、柔らかく敷かれた布団の中に、小さな命が眠っていた。
リリィ。ジャックの妹。ようやくこの世に来てくれた、かけがえのない家族だ。
ジャックは、そっと足音を忍ばせて彼女の傍に近づいた。手には、昼間まで調整を重ねていた「作品」。あれこれ試作した中で、いちばんやさしくて、いちばん繊細な仕掛けだった。
木の枝を組んで作ったモビール。その先端には、村で拾った金属片と、小さな葉っぱ、そして魔法で加工した極小の光石がぶらさがっている。
ジャックは、囲炉裏の上に渡された細い梁にそっと腕を伸ばし、それを吊るした。
ふわりと、風が通り抜ける。
カラン──
木片が当たる小さな音が、耳にやさしく響いた。同時に、ぶらさがった小さな光石がほのかにまたたく。プラズマオーブの魔法を極限まで制御し、わずかな揺れにだけ反応して点滅するよう設計した仕掛けだ。
「動作トリガーによる魔力律動反応、起動確認。点灯成功です」
アリスが、頭の中で淡々と報告した。
「うん、狙い通り……」
ジャックは小さく頷く。
ふと、布団の中で、リリィが身体をぴくりと動かした。
まだ目は開かない。けれど、小さな指先がふにっと動き、反応している。耳なのか、皮膚の感覚なのか、それとも――
その時だった。
ほんの一瞬。リリィの口元が、やわらかく、ふわりと、かすかに――ほころんだ。
「……え?」
ジャックは息を呑んだ。しゃがみこんで、妹の顔をまじまじと見つめる。
「今……笑った?」
> 「感情反応を確認。ジャック様の行為に対し肯定的な刺激が与えられました」
> アリスの声は、いつも通り冷静だったが、どこか誇らしげにも聞こえた。
ジャックは、思わず顔をほころばせた。
「……よかった。俺の知識も、ちゃんと“誰かのために”使えるんだな」
まるで、自分の中で何かがコトリと音を立てて動いた気がした。知識。計算。理論。それだけじゃない。もっとやさしくて、あたたかいもの。そんなものが、この世界にもちゃんとあったんだ。
その時、隣の布団から、眠りの中のリアナがぽつりとつぶやいた。
「……お兄ちゃん、ありがとね……」
ジャックは、ちょっとだけ照れたように笑って、手元のノートを取り出した。墨をつけたペンで、さらさらと書きつける。
《応用魔法:情動刺激系──実験記録1》
……しかし。
書いたその文字をじっと見つめたあと、彼はふと手を止めた。そして、ぽつりと呟いた。
「……いや、これは研究じゃない。――“愛情”だ」
ノートを閉じて立ち上がる。戸口を開け、夜の風が頬をなでた。
歩いて、丘の上まで登る。グリム村の灯りが、ちらちらとまたたいていた。牛小屋のランタン、囲炉裏の残り火、遠くに魔法の光が一つ、二つ。
「この世界でも、俺にできることがある」
ジャックはそう言って、そっと拳を握った。
「――あの子の笑顔を、もっと見たい」
> *記録更新。
> 対象ジャック様の「開発動機」に大規模な変化を確認。
> キーワード:「命の尊さ」「幸福誘導型技術」
> 優先度変更:最優先事項に昇格――AIアリス、記録継続を開始します。*




