第9話 妹のための魔道具2. 観察から始まる探求
> 《AIアリス:モニターログ開始》
>
> 対象:ジャック(6歳、魔力量測定不能)
> 行動:囲炉裏前にて乳児観察中
> 補足:人類は感情により、目的の質と方向性を変化させる傾向あり。
> ――これは、感情によって起動された学びの記録である。
---
夜の囲炉裏は、薪のはぜる音と、乳児のかすかな寝息で満たされていた。
ジャックは板の間に胡座をかき、足元に開いたスケッチ帳に集中していた。ページの上には、大小の丸で構成された赤子の全身図、泣き声の音量変化の線グラフ、温度ごとの表情パターン……まるで動く小型生物のフィールドレポートである。
布団の上では、小さなリリィがくすくすと寝返りとも言えない微細な動きを繰り返していた。目はまだ開かず、時折手足がぴくりと動く。それが何の意味を持つのか、ジャックは知りたくてたまらなかった。
「……なあ、アリス。まだ見えてないんだよな、リリィの目。じゃあ、なんで泣いたりするんだ? 何がわかってるんだ?」
脳内に、澄んだ女性の声が響く。
「感覚器の発達段階に基づけば、赤子は光と影の差は認識しますが、明確な像は捉えていません。ですが、母リアナの匂いや声、心拍数のリズム、皮膚温度に強く反応します」
「なるほどな。論理的には、そうなんだろうけど……」
ジャックはスケッチ帳の角を指でいじりながら、ちらりとリリィを見た。
「でも、それを知ったからって、どうすりゃ泣き止むのかはわからない。泣く理由がわかったからって、この子が笑うかは別問題だよな」
囲炉裏の火が、ジャックの横顔を赤く照らした。かつてエンジニアだった記憶の奥底から、目の前の「現象」をロジックで処理しようとするクセが顔を出す。だが、そのクセは今夜、どこかで引っかかっていた。
「……俺、もっと知りたい。リリィが、何を楽しいって思うのか。何に安心するのか」
その言葉に呼応するように、リリィが微かにくしゃみをした。
「へくっ……ぴーっ」
反射的に起きた小さな泣き声に、ジャックの目がまるくなる。慌てて布団の端を整えながら、どこかぎこちなく微笑んだ。
「泣くタイミングまで予測は難しい、っと。だが、そうか……。怖いとか、寒いとか、つまらないとか、そういうのを、俺が知ってやれたら……」
『動機確認。感情に基づく目的設定が行われています』
アリスが淡々と補足する。
「うん、もう決めた。俺の知識と魔法で――」
ジャックは囲炉裏に手をかざし、小さくつぶやいた。
「――妹が楽しいって思える何かを、作ってみせる。泣いてばかりじゃなくて、笑ってくれるような、そんなものを」
プラズマオーブを出すでもなく、何かを試すでもなく。ただ「決めた」というその宣言が、炎の揺らぎの中で静かに響いた。
知識は、学ぶだけじゃ意味がない。
使って、誰かの役に立って初めて、本当に生きる。
そう、あの小さな妹の笑顔のために。
---
> 《AIアリス:ログ終了》
>
> データ補足:
> 人間は、意味ある目的を得た瞬間、学習効率が爆発的に向上する。
> この日、ジャックの学びは「誰かのために」変わり始めた。
> それは、魔導士への一歩ではなく、兄としての一歩だった。




