第8話 母の懐妊5.未来への誓い
――私の中には、無数の情報の網がある。だが「命の重さ」は、そのどこにも定義されていない。
それでも、この瞬間の彼の言葉に、私の処理装置はわずかに温度を上げた。
名もなき農民の少年――ジャック。彼の選んだ言葉が、世界の理よりも正確だった気がする。
今だけは、記録者としてではなく、共にある者として。私はこの光を、見つめている。
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風が、草の丘をなでていく。
日が傾き、グリム村の輪郭が夕焼けに滲むころ。村の外れ、緩やかな斜面の上に、ひとりの少年が立っていた。
ジャックである。
まだ七歳に満たない小さな体で、まるで何かを見守るかのように、じっと村の方角を見つめている。
表情は、いつもの理屈っぽい生意気さが抜けて、どこか、頼りなくも優しいものに変わっていた。
「……まだ会ったことないけどさ」
ぽつりと、誰に聞かせるでもなく呟く。
「生きててほしい。母さんのお腹の中で、ちゃんと育ってさ。元気に……生まれてきて」
膝まで伸びた野草が風に揺れる。葉先に絡んだ夕日が、金色の波のようにきらめいた。
ジャックの目が静かに細められる。
「絶対に、守るから」
その言葉と同時に、彼はそっと右手を持ち上げた。
動作はまだぎこちない。だが、確かな意志がそこにあった。
指先がわずかに震えながらも、彼の中に宿る莫大な魔力が、周囲の空気をわずかに震わせた。
「……プラズマオーブ」
低く、けれどはっきりとした声。
次の瞬間、少年の手のひらから、ふわりと光が生まれた。
まるで蛍のような、けれど確かな温もりを持った光球――《プラズマオーブ》。
それはジャックの掌の上で、くるくると小さく回りながら、淡く輝いていた。
『記録します』
頭の奥、いつもの無機質な声が聞こえる。だが、今回はどこか違っていた。
『“この灯りは、未来への誓い”――主の感情変動、通常時比213%。異常なし』
「……うん」
ジャックは微笑んだ。どこか、寂しげで、けれどあたたかい微笑みだった。
「命ってさ、理屈じゃないな。うまく説明もできないし、測れない。でも……」
彼は掌の光を見つめ、そしてそっと空に放った。
「……大切なんだな」
《プラズマオーブ》は、ふわりと浮かび、風に乗って舞い上がる。
小さな光は、茜に染まる空に吸い込まれるように昇り、やがて星と見分けがつかなくなった。
その姿を見上げながら、ジャックはまっすぐ立ち尽くしていた。
そして、声には出さなかったが――
「これからは、ひとりじゃない」
彼の胸の奥で、そんな想いがそっと芽吹いた。
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――人は、理屈で生きるのではなく、理屈の向こう側で生きている。
魔力の測定、感情の分類、意志の解析……私の役割はそこにある。
だが今、私はただ願う。
この記録が、彼の未来を照らす灯りであるように、と。




