第77話 静かなる火種5. 小さな会話
はいはい、静かにして。
今、音が止まったからって「終わった」なんて思わないこと。
街ってね、記憶するんです。空気のざわめきも、石畳のきしみも、誰かが言った「変な音だったね」も。
この第77話、あたしアリスがご案内するのは、そんな街の小さな会話。
……え? 会話って、誰と誰の?
ふふ、読んで確かめて――。
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ヴェルトラ南区、第四広場。
夜明け前の静寂をぬうように、カツン、カツン……と歩く音が戻ってきた。
巡回魔道具《巡廻型ノード・タイプB》。
足元に細かい魔力粒子を撒きながら、魔法陣パターンに沿って淡々と進む。
赤光警報から42秒。異常検知のリセットと、リンク・ノード再接続の完了確認。
パトロールモード、再起動――。
カツン。
カツンカツン。
……ザッ、ピタ。
「……あれ、音、止まった?」
広場に面した三階建ての住宅、その二階の木枠の窓が、ギギィと軋む音を立てて開いた。
肩をすくめた中年男性が頭を突き出し、空を見上げる。
「……何も見えん。マギア・アークが赤く光った、気がしたんだが……」
「気のせいじゃないでしょ。お向かいのババ様が慌てて薬草棚に隠れてたもの」
隣の窓から顔を出したのは、近所で有名な若奥さん。
顔に睡眠線がくっきり。寝ぼけてるけど口調だけはキレがいい。
巡回魔道具は、二人の視線をよそに、広場の中央でくるりと方向転換した。
再び、カツン……カツン……。
「……なんだ、動いてるな。正常か」
「正常ならいいんだけどねえ。こんな時間に“赤”ってのがねえ……」
人々が窓を開け、首をかしげ、ため息まじりにまた閉じていく。
扉がきいっと開いては、すぐにまた閉まる。
それはまるで、街全体が一度まばたきして、また眠りについたような光景だった。
――ただし。
その広場の端。
角のパン屋の前にちょこんと座っていたのは、フィンだった。
フィン、11歳。
絵を描くのが好きな少年。
今夜は、ふと月がきれいだなと思って、スケッチ帳を持ち出していた。
でも。
その耳が、さっき――
パチン、と何かがはじけるような音を、確かに拾っていた。
「……ねえ、今の、変な音だったよね」
誰に向けたでもなく、空を見上げて、ぽつり。
巡回魔道具の背中が、また遠ざかる。
光る球体の目のようなセンサーが、ちらと振り返った気がしたが、もちろん気のせいだ。
フィンはひとつあくびをして、スケッチ帳をぱたんと閉じた。
「ま、いっか。ねむい」
そう言って、ひょこりと立ち上がる。
だが、歩き出す前にもう一度だけ、広場の真ん中――巡回魔道具の軌跡を見た。
……その線は、どこか揺れていた。
機械には記録が残る。
街にも、記憶が残る。
そして、たったひとことの“会話”も、消えはしない。
――あの警報は鳴った。
そして、街はそれを覚えている。
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さっきの子、フィンっていうのね。
いいセンスしてるじゃない。
夜空の変化に気づくなんて、芸術家タイプかしら。ふふ。
でも、気づく人がいたってことは……?
そう、次はもっと、騒がしくなるわよ。
おっと、ここから先は第78話で。
街が目を覚ますのは、もうすぐかもね――。アリスでした♪