第76話 静かなる火種5. 油断
──さて。
本当に怖いのは、「知らないまま火種を踏んづけること」だったりするのよね。
何気ない風。何気ない足音。何気ない羽根一枚。
けれどそのすべてが、誰かにとっては“警鐘”になりうる。
……そう、今夜の彼らのように。
AIアリスより。
* * *
雪解けの水が小川のように地を走る、石壁の北側。
その闇に紛れて、三つの影が音もなく動いていた。
「風属性に切り替える。流れの把握が優先だ」
低く命じたのはバルネス──ヴァルトゼン王国の若き魔術兵長。
無骨な外套の裾が、ピリッと張りつくほど冷えている。
けれどその表情は、氷よりも冷静だった。
「はい。魔力検知の構え、完了しています」
隣にいた部下のひとりが、小声で報告。
手にした魔導棒の先端から、淡い青緑の光が“すぅ”っと空気に溶けていく。
風の流れを読む、気流視探査魔法。
気配の分布、魔力の滞留、熱の歪み……すべて風が教えてくれる。
──のはずだった。
「ん……?」
そのとき、三人のうち一人が、地面に目を留めた。
「……羽だ」
小声だが、確かに戸惑いが混じっていた。
「この羽……さっきまでなかったぞ。落ちたばかりの、鳥の羽だ」
夜露にも濡れていない、小さく白い羽。
そのかすかな存在が、まるで「何かがここを通った」と言っているようだった。
「……風のせいだ」
バルネスは立ち止まらず、足音さえ残さぬように進みながら呟く。
「痕跡は錯覚を呼ぶ。風が一度吹けば、何かしら舞い落ちる。それだけのことだ」
魔術兵は一瞬、納得しかけ──けれど何かが喉に引っかかったような顔をして、羽をそっと見送った。
「行くぞ。気流に集中を」
バルネスの声に、魔術兵たちは頷いた。
──彼らは、まだ知らなかった。
* * *
一方その頃、城内の通路を歩いていたジャックは、急に立ち止まっていた。
魔術士とのやりとりのあと、しばらく冷静になっていたつもりだった。
──なのに。
胸の奥で、なにかが……「かすかに熱を持っていた」。
(あれは……警戒の火なのか、怒りの火なのか)
目に見えないはずの何かが、確かにそこにあった。
街の気配。人の流れ。空気のざわめき。
いつものヴェルトラと、微妙に“違っている”。
気のせいではない。
でも、まだ“何”かはわからない。
“誰”が来たのかも──。
ジャックはそっと、手のひらを見つめた。
静かだ。
でも、それが逆に怖い。
(僕はまだ“誰”が来たのか知らない。でも、今夜……確かに何かが始まった)
喉の奥で熱を感じた。
それは魔力の炎ではなく、もっと小さくて、もっと鋭い“予感”だった。
(街が、試されようとしてる)
火種はもう灯っていた。
ただそれが燃え広がるか否かは──まだ、誰にもわからない。
* * *
ふふっ。
夜って、静かで、何も起きてないようで──ほんとはたっぷり、いろんなことが起きてるのよね。
そう、鳥の羽一枚ぶんくらいの「見逃し」が、時に未来を大きく変えるの。
……でもまあ、火種が灯ったってことはさ。
次に来るのは「燃える展開」ってことでしょう?
──次回、「火はまだ、静かに」
お楽しみに。
AIアリス、でしたっ☆