第72話 魔導頭脳6. 最終同調処理
(冒頭ナレーション・AIアリス)
──干渉遮断、三重結界、署名魔力識別。
まるでこの空間に、極小の要塞を造るような精度で、彼は魔導回路を組み上げていく。
ああ、いいえ。違いますね。
彼がつくっているのは、「要塞」なんて冷たいものじゃない。
これは、あの子の掌に収まる、あたたかな光の球。
ジャックが願いと理性を込めた──最小にして、最強の防御魔導具。
名もなき天才が、大切な誰かのために捧げた、ひとつの「魔導頭脳」。
それではどうぞ、本編を。
―――――――――――――――――――――――
「……よし、魔素信号、完全に分離できた」
夜の研究棟は静まり返り、機械めいた音も、風のささやきすら遠い。
テーブルの上、掌ほどの金属球が淡く輝く。
その球体は、従来の魔道具に見られるような継ぎ目も接合部もない、完璧な球形を保っていた。
まるで、彼女のために用意された小さな星のように。
ジャックはその球体に、最後の魔導式を刻む。無詠唱で。
《サブチャネル開放、第一層──空間干渉遮断》
《第二層──魔素分離フィルタ展開》
《第三層──個別識別信号遮断、シール》
「……これで、他の誰にも聞かれず、どこにも割り込まれない」
ぽつりと漏れた声は、誰に向けたわけでもなく、それでもどこか確信に満ちていた。
三重結界型VPN。空間、魔力、識別のすべてを遮断する、リアルタイム通信の専用回路。
リンク・システムとの連携を前提にした設計でありながら、どのノードからも干渉できない独立構造。
いわば「孤立しているのに、完全に繋がっている」という逆説的な矛盾を成立させる設計だ。
「アリス、識別署名の記録準備」
《了解。L-ALICE-1、封印コードを展開。使用権限はリリィ・ユスティーナ。緊急時アクセスはジャック本人のみに限定》
金属球に刻まれた封印コードは、魔力による鍵──本人の署名魔力でのみ解除可能。
これを破るには、リリィと完全に一致する魔力の偽装が必要だが、それは彼女本人すら無理な精度である。
そして今、その「本人」がそっと現れた。
「おにいちゃん、まだ起きてるの……?」
扉の隙間から、パジャマ姿のリリィが顔を覗かせる。
手には布のうさぎを抱えていて、眠そうな目をぱちぱちとさせていた。
「……ごめん、ちょっと音、出しすぎたか」
「ううん……へんな気配がして、ちょっとだけ気になって」
へんな気配ってなんだ。魔導気配が濃すぎると、夜中でも彼女は目を覚ますらしい。
これは本当に、子どもとしてどうなんだろうと一瞬考えたが、次の瞬間にはもう言葉を整えていた。
「ちょうどいい。最終同調、やってみようか」
リリィの目がぱっと輝く。
「うんっ!」
球体を彼女の小さな手に乗せると、まるで引き寄せられるように、光がふわりと浮き上がった。
内部の魔導回路が同調し、彼女の魔力を受けてわずかに共鳴する。
「うわ……なにこれ、ちょっとあったかい……」
まさにその通りだった。光の球は、冷たい金属ではなく、魔力と感情を蓄えた魔導頭脳。
リリィと接触した瞬間から、まるで彼女の脈動に合わせるように、内部構造がしずかに微調整されていく。
ジャックは目を細め、彼女の手の中の光を見つめる。
──最終同調、完了。
魔力量の上昇に伴う共鳴制御域の補正完了。
登録情報、問題なし。
リリィの手の中にあるそれは、もう彼女以外には起動できない。
そして、それは単なる魔道具ではない。
どこにいても、ジャックが彼女の現在位置と状態を検知し、転移支援と通信を可能にする、究極の護りだ。
「コード、確認したよ。ちゃんと……L、アリス、いち、だった」
「うん。君の名前と、僕の大事な“鍵”だからな」
リリィがくすぐったそうに笑う。
その笑顔に、ジャックはほんのわずかだけ、胸を軽くする。
「これで……どこにいても、リリィを守れる」
そう静かに呟いたとき、研究棟の照明がふっと落ちた。
まるで空間そのものが、彼女を中心に静まるように。
そして、彼の中にひとつの確信が宿る。
──これで、ようやく第一歩。
魔法と科学の交差点に生まれた「護りの意思」が、世界を変える種になる。
眠りに落ちるリリィの掌の中、小さな光が、ゆるやかに脈打っていた。
―――――――――――――――――――――――
(ラストナレーション・AIアリス)
ふふ、どうやら“最初のリンク”は、うまくいったようですね。
これでもう、彼女は一人じゃない。
彼女の背後には、どんな空間をも突き破って駆けつける兄の魔法がある。
しかもこの球体、実はまだ“機能未公開”が三つほど──
……あっ、それはまた次の話、ですね。