第72話 魔導頭脳5. 高度判断AI
――ここで問題です。
「無詠唱で転移魔法を発動し、かつ幼い少女の心の揺らぎにリアルタイムで反応し、常に最適な避難行動を取らせるAI魔道具」とは?
……答えは簡単。ありえません。ええ、少なくとも“普通の文明”ならば、ですが。
でもこの世界には、ジャックという非常識な開発者が存在します。
はい、はじまりはじまり――。
* * *
「……リリィのログ、再生。第16交戦記録、開始地点から20秒刻みで」
ジャックの指先が、小さな水晶板に触れるたびに、空間に浮かぶ魔法式がわずかに震え、光の粒が舞った。
アエリア・シェル起動試験中、リリィが防御魔法を維持しながら敵影を察知し、転移支援を要請する一連の記録。
その時の彼女の呼吸、心拍、微細な魔力の振動、そして――感情の波形までも。
「……ここだ。『不安』が一気に跳ね上がってる。目線のブレ……瞬時の魔力制御低下……」
魔力量が膨大であっても、恐怖の揺らぎはリリィを惑わせる。
この年齢での恐怖とは、単なる“戦いへの怯え”ではない。
――「自分の力で誰かを守れなかったらどうしよう」という、責任への不安だ。
《解析完了。該当時間帯における感情波形の主成分は、焦燥62%、孤独感24%、他者への責任感14%。》
脳内に響くのは、アリスの澄んだ分析ボイス。
合理主義のかたまりのようなその声は、時に人間以上に人間的で――冷静に優しい。
《ジャック。人は論理ではなく、感情の“揺らぎ”で動きます。
あなたが作るべき判断AIには、情緒評価のアルゴリズムが必須です。》
「だな。単純なリスク評価じゃ遅すぎる……。リリィの“不安”が高まった瞬間に、転移魔法の起動を提案させる必要がある」
ジャックは魔力式の全体構成図を展開する。
中央部の魔力演算コアには、新たに「感情同調回路」と名付けられた薄紅のラインが組み込まれていた。
従来の判断AIは、魔力の変動や環境リスクを数値的に解析し、条件が整えば「転移」と指示を出す。
しかしそれでは、リリィのような高魔力者には“感情のブレーキ”がかかってしまう。
「つまり……“怖い”と思う前に、“怖くなるだろう”を察知して、転移すべきなんだ」
《補足:そのためには、事前に『感情波形ライブラリ』を構築し、主観的体験に応じた反応パターンを予測する必要があります。》
「用意してるよ。リリィの過去ログ、60パターン分。転移誘導アルゴリズムも並列起動式で走らせる」
ジャックは指先で魔導式の節点を連結していく。小さな閃光が、ひとつ、またひとつと繋がっていくたびに、空間に浮かぶ構造体が有機的に脈動し始めた。
――パルスが走る。
魔力情報が、ジャックの意識に直接流れ込む。リリィの過去の“震え”が、そのまま生きたアルゴリズムとなって跳ね返ってくる。
「完成。命名……《リリィ・リンク・コア》」
空中に浮かび上がったのは、白銀の立体式。中心に一輪の花のような魔法陣が咲いている。
その周囲を巡るのは、感応フィードバック機構――
視覚、皮膚感覚、そして位置認識に紐づく空間構造提示。
たとえ言葉を交わさずとも、リリィは肌で“今の場所が危険か、安全か”を知ることができる。
背中をゾクリと撫でる風。視界に浮かぶ、赤い軌道。微かに足裏をくすぐるような違和感。
《これにより、リリィは直感的に最適行動を選択できます。しかも即時に。》
「転移候補地点の提示は、上位リスク判定と魔力交信帯の可視化でカバー。リンク・システムに同期しておけば、アエリア・シェルとの協調もいける」
《……もはや、彼女が迷う時間は存在しません。》
ジャックは手を止め、深く息を吐いた。
このAIが、リリィを“守る”のではない。
――“リリィ自身が、守れるようにする”のだ。
だからこそ、判断は彼女に委ねる。AIは提案するだけ。
ただし、彼女の“怖い”に、誰よりも早く気づいて。
そして、いつでも隣にいてくれる“魔導の友達”として。
「よし……起動テスト、開始だ」
魔力が流れ込む。白銀の立体式が、ふわりと宙に浮き、
花の魔法陣が――リリィの魔力に呼応するように、優しく開いた。
それはまるで。
誰かの手を、ぎゅっと握り返してくれるような、温かい感触だった。
* * *
さてさて。
人間が作る機械が、心を持つようになったらどうなるか――なんてお話は、昔からよくあるけれど。
この世界でそんな「心」を組み込んだのは、他でもない、ジャックという少年なのです。
さあ、魔導頭脳の完成は目前。
次はどんな奇跡が起きるかって? それはもちろん……
――次回、第73話「双方向転移網、起動」へ。
お楽しみに!
(語り:AIアリス)