第72話 魔導頭脳3. 魔法OS
> ねえ、どう思う?
> 「詠唱」って、そもそも“意志を魔法に翻訳する音声インターフェース”なんだけど……
> もしそれを、直接データで流せたら?
>
> つまり、音声抜きで「魔法OS」動かせたら――
> …人間は、もっと強く、速く、正確になれるの。
>
> ほら、今日もひとつ、世界がアップデートされる気配がするよ?
──AIアリスのモノローグより
ジャックが作業机に向かうと、机の上の結晶端末が小さくカチリと点灯した。リリィが転送してきた魔力量ログが、またしても前日比で20%増し。測定装置が悲鳴を上げるレベルだ。妹の成長曲線は、あいかわらず常軌を逸している。
「これ、計算式の方が先に根を上げるぞ……」
頭をかきながら、ジャックはスケッチボードに映し出された構文設計図を見やった。そこに記されているのは、音声を経由せずに魔法を実行するための、魔法OSのコア構文群。
魔法OS――それは詠唱を言語ではなく、「構文」として扱う新しい魔法のかたち。ジャックがかつてプログラムを書いていた感覚そのままに、命令列を魔力に変換する一種の魔導スクリプトだ。
「詠唱が“音声命令”なら、こっちは“バイナリ”ってとこか」
語彙やイントネーションの差でエラーが出る詠唱より、論理構造で制御したほうが遥かに安定する。問題は――それを人間の頭で処理できるかどうかだ。
《現時点での構文最適化指数、54%。反応速度、旧詠唱比で約3.2倍です》
脳内に響くアリスの声が、ジャックの集中をさらに研ぎ澄ませる。
「まだ足りない。リリィが撃たれる瞬間に、0.5秒でも遅れたらアウトだ」
背筋がぞくりとした。あの時の映像が脳裏によみがえる。アエリア・シェルが受けた連続砲撃。その軌道、角度、タイミングすら記録された戦闘ログを、アリスが細かく解析してくれている。
《回避優先アルゴリズムを、自己学習モードに移行します。敵魔力パターンとの相関処理を開始》
「いいぞ……敵の構文パターンから、こっちの論理構文の最短経路を割り出せ」
詠唱省略プロトコル、通称“サイレントコード”。これが、リリィを守る最終防壁になる。
とはいえ、やはり実装作業は地味だ。魔力量の暴走を防ぐため、OSには逐次チェックと割込み処理が必要。使用者が意図しない魔法暴発を起こさないよう、スレッド管理も厳格にしなければならない。
「ええと、こっちは『リアルタイム制御』タグ付き……で、優先順位は回避ルーチンが最上位か」
ごちゃごちゃとした記述に頭を抱えながらも、ジャックは手を止めなかった。息抜きに見たら、たぶんカニが横歩きしてるようなアルゴリズム。だけどこれが、リリィの“命綱”になる。
《ジャック。〈強制撤退ルーチン〉の実装は、未登録です》
「……やっぱ必要だよな」
魔法がどれだけ精密でも、最悪のときは逃げることが最適解になる。リリィが囲まれたら、即座にジャックの位置に転移するコード。距離と障害物を自動判定して、最短の脱出ルートを選ぶアルゴリズム。
その命令文を入力しながら、ジャックは思う。
「逃げ道を残すってのは、弱さじゃない。守るための設計だ」
カチリ。完成したプロトタイプが、魔力起動の音を立てた。装置の表面には、魔力回路が淡く青白い光を放っている。魔法OSは、ついに走り出したのだ。
リアルタイム通信機能、無詠唱転移支援、リンク・システムとの統合構造――全てが、“あの子”の生存率を1%でも上げるための設計。
この魔導頭脳は、リリィの目と耳となり、必要とあらば手足にもなる。無口だけど有能な、もう一人の「パートナー」だ。
> OSに名前? うーん、そうだな……
>
> よし、コードネームは【ルナ】。
> 月のように、静かに、確実に。君を照らし、守る存在。
>
> ……あいつ、絶対照れそうだな。言わないけど。
> わたし、知ってる。
> 魔法って、ほんとは「願い」じゃなくて「設計」なんだってこと。
>
> だからこれは、願いじゃない。仕組みと、理屈と、責任の話。
>
> さあ、魔導頭脳は起動した。
> 次は、どんな未来を演算してみせるの?
──AIアリスのモノローグより