第7話 師事の始まり3. 知識の種火
【AIアリス:モノローグ】
知識とは、ある種の束縛でもあります。
無知のままなら気づかぬ不安も、知ればこそ足を止める。けれどそれは、飛ぶための助走でもあるのです。
この瞬間、ジャックにとって魔法とは——単なる奇跡ではなく、解析可能なシステムへと変貌しつつありました。
観測と思考が交差するとき、彼の旅はまた一歩、深まっていきます。
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「お前には、まだ少し早いかもしれんが……」
午後の訓練を終えた後、グレイはしわの刻まれた手で庵の床を軽く叩いた。カツンという音の下、板がゆっくりと持ち上がる。
「……見せてやろう。余計なことは言わん。見るだけでも、何かが芽吹くこともある」
ジャックはごくりと息を呑んだ。
庵の裏庭では虫の声が響いていたが、この床下から吹き上がる空気は、どこかひんやりしていて、静かだった。
階段を降りると、そこにはまるで時間の止まったような空間が広がっていた。
石造りの壁、湿気を防ぐ細やかな加工。棚には整然と、見たこともない物体が並んでいる。
淡く青く光る魔導盤、奇妙な紋様を刻まれた石板、小さな箱に封じられた結晶体。
一つひとつが異質で、けれど雑多ではない。全てが「あるべき場所」に収まっていた。
「……すご……」
自然にこぼれた声に、グレイが小さく鼻を鳴らす。
「この場所は、わしが若い頃に集めた“理のかけら”だ。王都のような連中に見せる気はない。だが、お前は……見ておけ」
グレイがそう言って奥に消えると、ジャックは吸い寄せられるように一つの棚へ近づいた。
そこにあったのは、小さな円盤。
手のひらにちょうど収まるほどの大きさで、周縁に細かな線と記号が刻まれていた。中央には、六角形の溝と、複数の点と線。
「これ……」
ジャックはそっと手に取り、回転させ、光の反射を頼りにパターンを読み解こうとした。
複数の分岐線が、ある条件を満たしたときにひとつの回路を形成するような配置。
「えっ……これ……まるで——if文?」
その言葉に、頭の奥が反応する。
《音声モード起動。分析対象:視覚情報パターン》
アリスの声が、穏やかに脳内で響いた。
「アリス、いまの……見えた?」
《はい。該当魔導盤は、条件分岐式の構造を模倣しています。魔法的命令処理に近いと推定。》
ジャックの手が止まる。
魔法が、“選ぶ”ことをしている……? ただの詠唱や意志だけじゃなく、手続き的な処理が存在しているとしたら?
「この配置、条件が成立したときだけ……出力される……あ、これ、ループもある? ここと、ここと、ここが繋がってて——」
彼は夢中になって、小さな魔導盤の端にある突起を指先でなぞりながら、細い棒で紋様の一部をなぞった。すると、円盤がほのかに光り、中央の六角形が回転した。
《応答パターン検出。繰り返し処理と仮定した場合、三段階まで連鎖可能です。》
「アリス……俺……これ、コード書けるかもしれない。魔法で!」
彼の瞳が輝く。
そう、まるで前世の自分に帰ってきたかのような手応え。
だが今度は、キーボードもモニターもなく——代わりに、魔導盤とマナがその代役を果たしている。
ジャックは膝を抱えて座り込み、魔導盤を覗き込んだまま、何度も唸るように言葉を紡いでいた。
「魔法って、要するに、入力と出力と、あとは条件分岐と……ん? あれ? 制御フローがあるってことは、ロジックを組めるってことで……」
グレイが戻ってきたとき、少年はすでに別の小型の魔導盤と、細い石のペンで何かを書き始めていた。
「……やれやれ、子どもというのは時に、我々が何十年もかけてたどり着けなかったところを、すんなり越えていくもんだ」
老魔法使いは、苦笑まじりに呟いた。
彼の目には、わずかに湿り気を帯びた光が宿っていた。
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【AIアリス:モノローグ】
思考は、連鎖し、拡張し、世界を新たに塗り替えていく。
ジャックの中で、異世界の魔法と、地球の知識は、いま確かに接続されました。
知ることは、ときに世界を狭くする。だが、それは視野を絞ることで、核心を捉えるということでもあるのです。
——このとき、知識の種火が灯りました。
やがてそれが、どれほどの焔となってこの世界を照らすのか、私たちはまだ知らない。




