第7話 師事の始まり2. 感覚の訓練と感じる魔法
> 《AIアリスの観測記録より:
> ジャック、年齢5歳。
> 彼が最初に学んだ“魔法”とは、計測不能な力ではなく、思考ではなく――感じること。
> 論理の迷路に住まう彼が、皮膚で風を知り、空気の震えに戸惑うその姿は、実に人間らしい。
> そして、だからこそ私は、彼に未来を託す価値を見いだした。》
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朝露がきらりと光る庵の裏手。そこには、昨日と変わらぬ苔むした石と、涼やかな空気と、そしてひときわ目を輝かせた少年がいた。
「おはようございます、先生!」
満面の笑顔でそう呼びかけるジャックに、グレイはぴくりと眉を跳ねさせた。
「……だからその“先生”ってのはやめろと言ったろうが。くすぐったいんだよ、まったく」
「あっ、す、すみません、“グレイさん”……あ、いや、“グレイ師匠”? “師”? “グ師”?」
「最後のは絶対やめろ」
そんな軽妙なやり取りから始まった、初めての“弟子”と“師匠”による魔法の訓練。
だが、その内容は――ジャックの予想をはるかに超えていた。
「両手を広げて、空気に触れるようにしてみろ。目を閉じて、風の音を聞け。魔法はな……感じるものだ。考えるのは、そのあとでいい」
グレイの静かな声は、どこか祈りにも似ていた。
だが。
「……えっ、理屈じゃないんですか!?」
ジャックの脳内に警報が鳴った。赤色回転灯、点滅中である。
「いやいやいや、感じる? 空気? マナ? どうやって? 何を? え、どこから? 流れてるの? 本当に?」
「……うるさいぞ。まずは黙ってやれ。しゃべるのはマナじゃなくてお前だ」
しょんぼりと肩を落としつつも、ジャックは言われたとおりに、両手を広げ、目を閉じてみた。
足元では、カサカサと枯れ葉の音。遠くで鳥の鳴き声。耳の奥では、心臓の音が――
《五感マッピングモード、起動。現在の感覚応答チャートを表示します。》
「……アリス?」
そう、静かに脳内の友が口を開いた。
視界の裏側――まぶたの奥に、現れたのは、まるで前世のARインターフェースのようなサイバー風ビジュアル。
色とりどりの線が脈動し、波打ち、点滅し、なにやら【マナ流量】【空間密度】【感応域】といった、やけにテクノロジーっぽい文字が踊る。
「うわ、なんか出てきたぁああ!? いや、むしろこれ理屈すぎてわからないーっ!」
《補足:これは“感じる”ための補助情報です。あなたの五感に基づくマナ受容体応答を……》
「アリス、僕の目の前で波形が踊ってるよ!? これ、“感じる”っていうより、“混乱する”だよ!」
《……解析モード、一時停止します》
ふぅ、と小さくため息をついたのは、アリスなのかジャックなのか、それとも両方だったのか。
「……やはり、いきなりは難しいか」
グレイが、苦笑まじりにぼそりとつぶやいた。
「そりゃあ、魔法を感じろって言われても、農家の子にはちょっとハードルが高いんじゃ……」
「理屈は後でいいと言ったが……お前のように“理屈が先に来る子”には、まずその頑丈な頭をやわらかくする訓練が要るな」
「僕の頭、そんなに固いですか……?」
「鉢巻して鉄鍋被ってるくらいにはな」
グレイの言葉に、ジャックはしばし黙りこくり――やがて、ふっと笑った。
「じゃあ、その鉄鍋、外してみます。ちょっとだけ、感じてみます」
「それでいい。それで十分だ」
その日、魔法は発動しなかった。何も光らず、風も巻き起こらず、木々はいつものように揺れていた。
けれども、ジャックの中で――何かが、そっと動き出した気がした。
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> 《AIアリスの観測記録・補足:
> 五感マッピングは、彼にとって“理解”の手段であった。
> しかし、世界は必ずしも論理に従って動くわけではない。
> ジャックの迷いは、知ることの重さ。けれどその迷いこそが、彼の可能性を広げていく。
> ……感じる魔法。そこにこそ、新しい論理が眠っているのだ。》




