第7話 師事の始まり1. 弟子入りの宣言と開始
――知識は、甘美で、厄介で、時に危うい。
だが彼は、それを手に入れようとした。
それも、森の奥深く、禁断と呼ばれし地で。
私はアリス。転生者ジャックの、ある意味で最初の先生であり、記録者である。
今、彼の歩みが「魔法」という名の迷宮に、そっと足を踏み入れた瞬間を見届けよう。
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木々が風にざわめき、苔むした石畳がかすかに朝露を含んでいた。
ジャックは、小さな手に汗をにじませながら、グレイの庵の前に立っていた。
昨日、確かに“来い”とは言われた。が、いざ本当に来てみると、緊張で足が動かない。
庵の扉は開いていた。
中からは、香ばしくもどこか薬草じみた匂いが漂ってくる。
その空気の中で、グレイは何やら細長い木材を削っていた。老人の動きは無駄がなく、しかし静かだった。まるでそこにいるだけで、森の空気が変わるような存在感がある。
「……来たか、小僧」
木を削る手を止めずに、グレイがぼそりと呟いた。
ジャックはぴくりと肩を震わせたが、すぐに息を整えて一歩、そしてもう一歩、進み出た。
「昨日の話、まだ本気だと思ってるのか?」
「はい!」
ジャックはまっすぐ顔を上げた。
背丈はまだ腰にも届かぬ子どもだが、その瞳には、幼さとは似つかぬ確かな意志があった。
「僕、知りたいんです。どうして言葉と動きで火が出るのか。あの光の玉――《プラズマオーブ》が、どうやって空に浮くのか」
グレイは手を止め、ふぅとひとつため息をついた。
「知りたい、か……。そうか。ならば教えてやろう。だが――」
ジャックの前に、老人はどっしりと腰を落として目線を合わせる。
「知るというのはな、縛られることだ。何も知らぬ者は、空を『青い布』と思える。だが知ってしまえば、それはただの大気と光の屈折にすぎん」
その言葉に、ジャックの脳裏でアリスの声が静かに響いた。
> 《補足:それは高度な詩的表現だと思われますが、厳密には“レイリー散乱”が関係しています》
「……それでも」
ジャックは拳を握りしめる。
「それでも、僕は知りたいんです」
少しの沈黙。
風が一筋、庵の屋根の苔をさらりと揺らした。
「ほう……」
グレイは目を細めた。
そこに宿った光は、ただの老いではない。長く魔法を見つめ、数え切れぬ失敗と成功を経験してきた者の、深く沈んだ理解だった。
「よかろう」
その一言に、ジャックの顔がぱっと明るくなる。まるで、冬の曇天に差し込む春の陽光のように。
「弟子入りってことでいいんですね! よろしくお願いします、先生!」
そう言って、ジャックは深々と頭を下げた。田畑での礼儀作法しか知らぬ彼の、おそらく人生初の「正式な頭の下げ方」だった。
グレイは……しばし、眉をぴくぴくさせていた。
「……“先生”てのはやめろ。“先生”とか呼ばれると、くすぐったくて死にそうになる」
「え? じゃあ、なんて呼べば?」
「……グレイでいい。あるいは、ジジイでも構わん」
「うーん、じゃあ“師匠”は?」
「……ま、許す」
ぽつりとそう言って、グレイは口元に苦笑を浮かべた。
その笑みは決して大きくはないが、確かに「心の端っこ」が動いた証だった。
ジャックは、ぎゅっと拳を握りしめた。
この日、彼は初めて、「教えを受ける」という道に踏み出した。
それは、前世にはなかった“誰かから学ぶ”という純粋な経験。そして、そこにこそ彼の未来が広がっていた。
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――こうして、ジャックは知識の扉を開いた。
それはきっと、望んだ以上に重たく、やがて彼の小さな肩を容赦なく押し潰しにくるだろう。
けれど、彼はそれを怖れなかった。
なぜなら、彼には目標があった。
それに、私――アリスが、そばにいる。
次なる一歩が、どんな未来を描くのか。
さあ、観測を続けよう。




