第59話 ヴェルトラの拠点化1. ギルドマスターとの会談
### 《アリスの冒頭ナレーション》
ようこそ、石と魔法とちょっぴり胡散くさい交渉が渦巻く都市――ヴェルトラへ。
今日のお話は、「控えめな天才少年ジャックくん」と「人を煙に巻く名人グレイさん」の、“何もしてないように見せかけて、めっちゃ世界を動かしてる会談”です。
さて、あなたは気づいたでしょうか?
このふたり、最近「世界の広げ方」を本気で考え始めてるんです。
……あ、もちろん“あの村”の存在は、ちゃっかり秘密にしたままで、ですけどね。
では、交渉の場へどうぞ。
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重厚な扉が、静かに閉じられる音がした。
「……ふむ」
部屋の空気は、まるで魔力を孕んだスライムのように重く、ぬるりと肌にまとわりついてくる。ジャックは一歩後ろで立ったまま、無言を貫いていた。もちろん、彼の脳内ではアリスが小声で「緊張してるフリ、うまくなったね」などと囁いていたが、それも表には出さない。装備は質素、顔もきょとん。徹底した“空気感”。
応接室の壁一面には、古びた巻物や魔道具の標本がずらり。どれもこれも、何かを語りかけてくるような威圧感がある。
この部屋の主――ヴェルトラ魔法ギルドのマスター、ルドルフ=エルゼンは、鋭い鷹のような眼差しを持つ老齢の魔導士だった。その視線が、対面に座るグレイ=アルフォルトをじっと見据えている。
「……さて、グレイ殿。改めて、御足労いただき感謝します」
ルドルフの声は深く、穏やかだが、どこか探るような響きを含んでいた。
グレイは軽く頷くと、懐から取り出した手帳のようなものを机に置いた。それは、先日までグリム村の研究所で行われていた局所防御魔法の改良記録だった。
「こちらが、現在までに構築した局所防御型の結界魔道具の設計指針です。先日ヴェルトラ北門で実験した《ルミナ・ウォール》の後継機にあたるもので、感知範囲と反応速度を改良しております」
さらりと語るグレイの声は、まるで紅茶の香りのように穏やかで、それでいて芯がある。ルドルフが資料を手に取ると、ふと彼の眉がぴくりと動いた。
「これは……確かに、現在ギルドが使用している壁面結界とは、方式が異なる。魔力の干渉を最小限に抑える工夫がなされている。面白い……」
「お褒めに預かり光栄です。ただし、完全な防御はまだ困難でして。実験の副産物として、魔力の“圧縮揺らぎ”が観測されておりまして」
「揺らぎ、とな。……貴殿、スタンピード事件後から随分と研究に熱が入っているな」
そう言ったルドルフの口調に、皮肉はなかった。むしろ、一歩踏み込んだ尊敬がにじんでいた。
グレイは口元をわずかに歪め、こう切り出した。
「そこで――技術の一部提供を前提として、ひとつお願いがございます」
ルドルフが目を細める。
「お願い、とは?」
「研究施設の設置に適した、更地をひとつ……賜れぬかと考えております。結界の常設運用や感応機の調整には、ある程度の規模が必要でして。できれば都市外縁部が望ましいのですが」
応接室に、しばし沈黙が降りた。
風も音も吸い込まれたような、まるで《サイレンス・フィールド》が張られたかのような静寂。その中でルドルフはゆっくりと椅子にもたれかかり、組んだ指の隙間から、ジャックをちらりと見た。
「……ふむ。技術提供については、すでにギルド内でも評価が高まっております。ただし、用地の件となると、我らの管轄外ですな」
その答えに、グレイは眉一つ動かさない。ただ、さらりと微笑む。
「やはり、そうなりますか。でしたら……政庁筋の方をご紹介いただければ」
ルドルフは即座に立ち上がり、机の引き出しから巻紙を一枚取り出した。そこに魔力を込めて署名し、封蝋を施す。
「こちらに、政庁執政官ダリウス=ヴァレンティ殿への紹介状を用意いたしました。あの方であれば、開発区域の割り当ても話が早いでしょう」
紹介状を受け取ったグレイは、深く礼を取る。その背後で、ジャックも小さく頭を下げた。
(――ふぅ。予定通り、かな)
ジャックは内心でアリスと目を合わせる。もちろん、目は見えないが。
“研究施設設置”という言葉の裏には、《センサ・オービター》の運用拠点化という狙いがある。もちろん、“グリム村”の名はどこにも出さずに。
《ヴェルトラ拠点化計画》、第一歩は静かに、しかし確かに進んでいた。
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### 《アリスのラストナレーション》
さてさて、交渉の場って、こんなに静かで、こんなに重い空気が流れるもんなんですね。私、ジャックくんの脳内に住んでてよかったって本気で思いましたよ。
でもね――彼らは“押してる”ようで、実は“引いてる”。
“要求”してるようで、“仕掛けてる”。
世界は、気づかぬうちに形を変えていくものです。
次の相手は政庁。少しクセのある貴族さまが、お待ちかねですよ?
ふふふ――「静かなる侵略」は、まだ始まったばかり。
(つづく)
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