第56話 リリィとその仲間たちの冒険5. 兄の怒りと喜び
───《AIアリスの語り》───
人が「安全」と呼ぶものは、たいてい過去の経験に基づいている。
けれど、過去に何も起きなかった場所ほど、未来に油断が生まれる。
さて今回の主役は、ジャックじゃない。
6歳のリリィと、その仲間たち。
……が、その兄という生物は、妹の気配がちょっとでも“不穏”になると
どこからともなく現れて、全力で修羅と化す仕様なのです。
では、彼らの「ちょっとした冒険」によって引き起こされた兄の雷──
ご覧いただきましょう。
───本編───
森が、一瞬、光で爆ぜた。
ドォンッ!
空気が焼けるような重低音とともに、地面がぐらりと揺れる。
緑の天蓋をなす森の奥、リリィたちが立つその前方の茂みが、
突如として《ラグナ・フレイム》の炎に包まれた。
──それは、焦土を作らずして全てを焼き払う“浄化の炎”。
無詠唱、無慈悲、無制限。
まさに“兄の怒り”の形をした魔法だった。
「ジャック兄……」
オスカーが声を漏らす。
リリィの手を引いていたミアが、小さく後ずさった。
突風のように、彼は現れた。
黒いマントを翻し、燃えるような魔力のうねりを背に──
それでも目は、冷静そのもの。
「ユリス、展開」
「はい、《防御障壁》」
優しい光が、子どもたちを包むドーム型の障壁を形作る。
「アイザック、位置確認と外周警戒」
「了解。トム、ノア、手分けして周囲を──」
その言葉に、トムとノアが素早く動く。
誰もが緊張していたが、そこにあったのは、もう“冒険”ではなかった。
──完全なる実戦、命を懸けた現場。
魔獣たちは、すでにジャックの炎に追われて姿を消していた。
不自然な静寂のなか、空気だけが熱を残して、じりじりと肌を焼いた。
そして──その中心に、ジャックが歩み寄る。
「リリィ」
低く、しかし明瞭な声。
それだけで、6歳の少女の肩がビクリと震えた。
リリィは顔を伏せたまま、両手をぎゅっと握っている。
「なぜ、通信魔道具を使わなかった?」
その問いは、刃のように静かだった。
「……ごめんなさい……持ってたのに、使わなかったの……」
声が、震えていた。
子どもたちの中で、彼女は一番年下。
でも魔力量は突出していて、今日の冒険の鍵を握る存在でもあった。
──しかし。
「命に関わるなら、遊びでも“遊び”じゃなくなる」
ジャックの言葉は、まっすぐだった。
怒っているのではない。だが、絶対に許さない。
そんな気配を、子どもたちみんなが感じ取った。
「誰かが、ほんの少しでも、転んで頭を打ったら。
通信一つで、助けられる命があったら……後悔しても、戻らないんだよ」
重い空気が、全員を包む。
ミアが小さくすすり泣き、リラも涙を浮かべている。
だが。
ジャックは、ふっと表情を和らげた。
「……でも」
そして、一人ひとりの前にしゃがみ込み、順に頭を撫でていく。
「誰も死ななくて、本当に、よかった。みんな、本当に頑張ったな」
ミナが「ひっ……」としゃっくり混じりに泣き笑いし、
クロエは口を真一文字に結んでから、ぷいと顔をそらす。
でも、耳まで真っ赤だった。
「ユリス」
「はい」
「次はもっと安全に楽しめるように、連絡は忘れずにね。
遊びと冒険は似てるけど、命があってこそ楽しめるから」
その言葉に、リリィが顔を上げた。
泣きはらした目は、でも真っ直ぐだった。
「うん……もっと強くなる。今度は、ちゃんと守れるように」
小さな手が、ぐっと拳を握る。
その姿に、仲間たちもひとつずつ、頷いた。
──夕暮れ。
オスカーが、気まずそうに頭を掻きながらも叫んだ。
「帰るぞー! 手つなげー!」
「「「「はーい!」」」」
みんなの声が森に響く。
リラがミアの手を取り、クロエがミナを引っ張る。
リリィは、ノアの隣で小さく「ありがとう」と呟いた。
手と手が繋がれ、にぎやかに揺れる列。
森の奥には、まだほのかに《ラグナ・フレイム》の熱が残っていた。
そして──その向こう。
空には、淡く光る月が、静かに昇っていた。
───《AIアリスの語り・ラスト》───
人は、いつのまにか“冒険”と“暴走”を履き違える。
でもそれに気づけるのは、たいてい“叱ってくれる誰か”がいる時だ。
今日のリリィたちは、怒られた。
でも同時に、守られて、認められた。
そして……彼女は、もっと強くなるだろう。
兄の怒りと喜びを、しっかりと胸に刻んで。
次回──「やさしさを教えてくれた魔道具」
──お楽しみに。




