第6話 沈黙の庵 1. 出会いの余韻と試される視点
> ――観測開始。対象地点、禁断の森最深部、空間異常領域。周囲の魔力濃度、通常域の5.3倍。
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> 内部結界、重層式・古代文様構築。構造解析不能。
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> ……それでも、彼は躊躇しなかった。観測者である“彼”の目は、未知を前にして恐れを知らない。
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> この世界の論理を、まだ誰も知らぬ法則を、彼は探しに来た。私と共に。
苔むした石と朽ちた木でできた庵。その前に、ひとりの少年が立っていた。
大きな目はまっすぐ前を見ているが、手のひらは汗ばんで、わずかに震えている。
彼の名はジャック。農家の子としてグリム村に生まれ、今、禁忌とされる森の最奥に立っている。
目の前の庵は、まるで呼吸をしているかのようだった。風はないのに、木の扉が音もなく揺れる。
不思議と怖くはなかった。ただ、不安とは違う圧が、足元からじわじわと上がってくる。
(誰か、いる……)
そんな確信があった。そしてその「誰か」が、今まさにこちらを見ている。
「……ずいぶんと、変わった客人だな」
背後から聞こえた声は、まるで風のようだった。
低く、静かで、けれども、どこか楽しげでもあった。
ジャックがくるりと振り向くと、そこには一人の老人が立っていた。
長く伸びた髪と髭は銀に近く、灰色のローブは端がぼろぼろになっている。
だがその佇まいには、どこか“秩序”があった。荒れた風貌の中に、不思議な整いがある。
「お、おじいさんは……ここの人?」
「ああ。名乗るほどの者ではない。ある者は“隠者”と呼び、またある者は“異端者”と吐き捨てた。……まあ、今はただの年寄りだ」
名も告げず、ただ肩をすくめるようにそう言ったその姿に、ジャックは小さく息をのんだ。
「じゃあ……ここ、入ってもいいの?」
「お前はすでに結界を越えてここに来た。ならば、問う方が筋違いだろう」
ふ、と細い目を細めた老人が、ジャックを値踏みするように見つめる。
「なぜ、こんな場所に来た?」
声には敵意はなかった。
それでも、その問いかけには“探る”ような静けさが含まれていた。
答えを、試すように。
ジャックは唇を結んだ。けれども、すぐにそれを緩めて、素直に言った。
「ただ、見たくて来たんだ。……知りたくて」
それは言い訳でも、弁解でもなかった。
ほんの一言だったけれど、そこには幼いなりの誠実な熱が込められていた。
> 《アリス起動:反応検知》
> 周囲の魔力濃度、通常域の5.3倍。
> 空間安定度:不安定。構造評価中……
> 結界形式:多層式。構築様式、古代文様依存。再現不可能な高位魔法構造と推定。
> 対象人物の魔力操作、測定不能。情報蓄積を推奨。
ジャックの内側で響いたアリスの声に、彼はこっそりうなずいた。
(やっぱり、普通じゃない場所だ……)
老人はその様子をじっと見つめたまま、何も言わない。
その目には、ただの子どもを眺める視線はなかった。
まるで、遠い昔の記憶を呼び起こされるかのように。
「……お前の目は、ただの子供の目ではないな」
ぽつりと、そう呟いた。
それがどういう意味か、ジャックにはわからなかった。
けれど、否定する気にもなれなかった。なぜなら彼は、自分の中に“誰か違う者”がいることを知っていたから。
そして老人はそれ以上何も言わず、ふいに背を向けた。
「ついて来い。……来てしまった以上、見せねばならぬものがある」
そうして、庵の扉が音もなく開かれた。
ジャックは、ごくりと喉を鳴らす。
その先に何があるのかはわからない。けれど、足は自然と前へ進んでいた。
庵の中へ、少年と隠者の影が静かに吸い込まれていく。
> ――観測継続。対象“グレイ”、脅威判定レベルA以上。
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> しかし、敵性はなし。むしろ――
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> ……ようやく“対話”が、成立する時が来たようだ。




