第38話 静かなる第一歩5. ユリスの瞳
> アリスの語り(冒頭)
> 静けさとは、時に強さの証明であり、決意の足音でもある。
> 王都の片隅、夕焼けに染まる一室で、一人の少年が“未来”を練り上げていた。
> 名前はユリス。
> 彼の歩みは派手ではない。だが、一歩一歩、確かに――その足跡は積み重なっていた。
西の空が茜に染まる頃。
王都の石畳を照らす光は、窓辺に射し込み、グレイ=アルフォルトの家の一室を淡く包んでいた。
部屋の隅には、ひときわ低い机。その上に広げられた羊皮紙と、鉱石の粉を混ぜた魔力線の試作痕。
少年――ユリスは、その前で肩をすぼめながら、真剣なまなざしを走らせていた。
「……くっ、あと少しで“癒しの膜”が完成するのに……」
彼の指先が、何度目かの修正を試みて紙の上を走る。
だが、魔法陣の結合部にほんのわずかなズレが生じ、光が微かに滲む。――失敗だ。
「……ちがう、ちがう……そうじゃなくて……っ」
口元をきゅっと結び、深く息を吸う。
まだ八歳。けれど、魔道具という複雑な知と技の領域に、彼は果敢に挑んでいた。
その瞳は――あの少年、ジャックに似ていた。
まっすぐで、逃げない光を宿していた。
「無理はするな」
静かに背後から声がかかった。
グレイだった。杖に手を添えた老魔導士は、窓の向こうの空をちらりと見ながら、
暖炉のようなやわらかい声音で続ける。
「だが……その気持ちのまま進めば、再来年には学院に入れるだろう。
君の成長は、誇れるものだよ。自信を持て」
ユリスの筆先が止まり、肩がふるりと震えた。
大きな目を、ぱちりと瞬かせて振り返る。
「……ほんと、ですか……?」
「私が言うのだ。誤魔化しはせんさ」
グレイの口元に、ふっと穏やかな笑みが浮かぶ。
「……ジャックに、追いつきたいんです。少しでも」
ぽつりと、けれど迷いのない声だった。
そのとき――ユリスの瞳に、淡い光がともる。
決意の色だ。それは誰にも強制されない、ユリス自身の意思から生まれた輝きだった。
ジャックの存在は、ユリスにとって特別だった。
村の出でも、貴族でなくとも、力を持ちすぎていても――それを隠し、律し、目立たぬように生きる少年。
本当なら称賛されるべき技術や力を、ただ静かに沈め、穏やかな顔で皆と接するジャック。
その背中に、憧れではなく、目標として追いつこうとするユリスがいた。
彼の手元には、幾つもの試作魔道具の残骸。
光らず、動かず、うまくいかなかったものたち――けれど、それは彼がどれだけ挑んできたかの証でもある。
ふいに、ユリスの肩が落ちる。
そして――ふっと、笑った。
「でも……僕、まだ全然です。回復魔法ひとつ取っても、魔道具で再現するの、こんなに難しくて。
ジャックは、すごいです。いくつ作ったんでしょうね、魔道具……」
「さぁな。あいつは数えてなどおらんだろう」
グレイがくぐもった笑いを漏らす。
「君も同じ道を歩まなくていい。ただ、自分の“やりたいこと”を積み重ねていくんだ。
……それが、静かに育つ本当の力になる」
やがて、ユリスは頷き、もう一度筆を取る。
震えは、さっきよりも少しだけ、収まっていた。
> アリスの語り(ラスト)
> ジャックのように、静かに歩む者は、この世界にそう多くはない。
> けれど、その足音を聞いて育つ者は、確かに存在する。
ユリスという少年の瞳に灯った光は、希望の兆し。
いつかその光が、誰かの未来を照らす日が来るのだと、私にはわかる。
……静かなる第一歩は、もう、踏み出されていた。