第38話 静かなる第一歩1. 魔法学院入学式
(冒頭メタ視点:アリス)
この世界において、「目立たぬ」という選択は、時として最も賢明な戦略だ。
特にその者が、魔導士百人分の魔力を内に秘めた少年であるならば。
──これは、静かなる歩みで未来を選び取ろうとする一人の転生者、ジャックの、魔法学院での第一歩の記録である。
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天井の高い大講堂。
漆黒の柱が並び立つ中、真紅と藍の学院旗が音もなく揺れていた。外の風は入ってこない。だが、その緊張感が空気を震わせているのだと錯覚するほどの、荘厳な静けさ。
ジャックはその会場の最後列、新入生たちの列の一番後ろに、ひっそりと立っていた。
彼の表情に怯えや不安はなかった。
──むしろ、少し眠たげな落ち着きすら感じられる。
アリスの声が、脳裏でそっと響いた。
《現在、魔力量の流出ゼロを維持中。マナベール、完璧です。セーフです。……あ、隣の貴族風男子が汗かいてますけど、これは別件ですね》
(ありがと、アリス。ぼくは壁になってるだけでいい)
それがジャックの方針だった。目立たず、騒がず、ただ静かに“始まり”を見届けること。
壇上に、白髪の年配の男が進み出た。
長いローブの裾が揺れ、会場が静まり返る。
この男──校長、アーグレン=レクトリスは、魔法学院の創設当初から職にあるとも噂される人物だ。伝説ではなく、事実である。
「力を誇るな。知を磨け。誇りは歩みの果てにある」
それだけ言うと、彼は壇上をゆっくりと降りていった。余韻が空気に染み込んでいく。
次に登壇したのは、生徒会長の名を持つ青年だった。髪は黒曜石のように艶やかで、装いは無駄のない機能美を漂わせている。声もまた、研ぎ澄まされていた。
「協力こそが魔法の本質です。個の力より、共に学び、支え合いましょう」
あちこちで感嘆のささやきが漏れた。
ジャックも小さく拍手した──音がしない程度に、そっと。
(あの人、すごいな。台本読んでないのに、迷いがない)
《言語解析完了。あの語り口、97.2%の確率で即興です。──さすがです》
そして、最後に壇上に立ったのは、白金色の巻き髪を揺らす少女だった。肩にかかるマントには新入生の証の刺繍があり、その色は……トップ合格者だけに許される“深緋”。
「この学院に入るにあたって、私は──研鑽と誠実な努力を誓います。この学院の名に恥じぬように」
気取りすぎ、と受け取る者もいるかもしれない。けれど、その声音には確かな自負があった。実力を積み重ねてきた者の声。
ジャックも、ひと呼吸置いてから拍手した。先ほどより少しだけ強く──けれど誰にも気づかれない範囲で。
(よし。問題なし。完全に“目立ってない”)
《服装に関して若干の注目は受けましたが、分析の結果『新入生の付添い人』と誤認されていた時間が長めです。大成功です》
(むしろそれ、ちょっと悲しいな……)
だが、それでいいのだ。
ジャックは、力を見せるために来たのではない。
ここで学び、鍛え、そして信頼されるために来た。
力は、しまっておけば暴れない。
知識は、しまっておくほど錆びる。
ならば──磨くべきは、後者である。
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式典が終わり、新入生たちは緩やかに動き出す。
色とりどりの制服が舞う中で、ジャックは変わらず静かな足取りで講堂をあとにした。笑顔もなければ、焦りもない。ただ、必要な場所に、必要な重さだけで存在している。
「おーい、そこの……えっと、そっちのお兄さん! 入学者の列、そっちじゃないって!」
通路の係の人に声をかけられたのは、その直後だった。
「あ、ごめんなさい。はい、僕、入学者です。あっちですね」
ごく自然に、ニコリと笑うジャック。誰より目立たず、誰より目を引くことなく──今日も、彼は“農民風の少年”を演じきるのだった。
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(ラストメタ視点:アリス)
静かな歩みは、遅く見えるかもしれない。
けれど、その足取りは確かで、誰より深く地を踏みしめている。
ジャックの学院生活は、今──
音もなく、動き始めた。