第36話 開かれし門、そして王都へ6. 魔道具店開店
(アリスによる冒頭モノローグ)
──空間座標、完璧に固定。視界、遠隔補正済み。……いいえ、そんな難しい話じゃないんです。彼は今、ただ“店を出す”準備をしているだけ。だけど、それがどれだけ精緻な判断と制御の上に成り立っているか……誰にもわからない。彼自身すら、もしかしたら。けれど私は知ってるんです。これは、新しい一歩。王都という巨大な舞台での、小さな「開店」物語──
* * *
「セオドリック=フランバルグ、エルディナ伯。……昔と変わらんな、あの口ひげだけは」
グレイ=アルフォルトは、くたびれた旅装のまま、重厚な執務室の椅子に腰を下ろしていた。向かいの男──絹地の上着を纏った堂々たる伯爵は、僅かに笑みを浮かべた。
「グレイ……お前が王都に戻るとは思わなかったぞ。まさか頼みごとに来るとはな」
「無礼を承知で言おう。小規模で構わん。魔道具を扱える、店舗を借りられる場所を探している」
グレイの声に一切の飾りはなかった。伯爵は唇に手を当ててしばし沈黙し──それから、ちらと、グレイの後ろに立つ少年へと視線を流した。
「……その子か?」
「うむ。この男は、信頼できる」
ぴし、と空気が張りつめた。グレイは目だけでジャックに合図した。
「……一瞬だけ、解放しなさい」
ジャックは頷くと、息を詰めるようにして、身体の内側からマナベールを、ほんのひと刷毛分だけ“緩めた”。
その瞬間──
「……っ! これは……いったい……」
伯爵の目が見開かれる。空気が、軋んだ。心臓の奥を撫でるような、けれど焼けるような圧──そのすべてが、わずか数秒で霧散した。ジャックはマナベールを即座に再展開し、空気は元に戻る。
「……とんでもない子を連れてきたな」
「だろう?」
グレイの口元が、久々に綻んだ。
* * *
数日後、王都の東区の一角──まだ看板の掲げられていない小さな建物の扉が、初めて開かれた。
「おっはようございまーす!」
元気な声が響く。店内に飛び込んできたのは、キャシーとメアリー。二人はすでに「常連(になる予定)」の顔をしている。
「ユリスくん、準備できてる?」
「うん、ばっちり。キャシーちゃん、今日は“ことばの石板”の新しいバージョンあるよ」
「ほんと!?」
ユリスは小さな机の上に木製のパズル板を並べる。彼の顔には、いつもの穏やかさに加えて、どこか“店員”としての自信もにじんでいた。
棚には、試作品の魔道具たちが整然と並んでいる。
「光るお絵描き板」「風で動く音の鈴」「ひらめけマナ・キューブ」……子供向けから生活雑貨まで、小さな発想のかけらが形になって、そこにあった。
「いらっしゃいませ~! よかったら手に取ってみてくださいね~!」
応対に立つのは、若い女性店員──元は王都の細工店で働いていたらしい、気さくな話し上手のレーナだった。清潔感のある店内は、まだ殺風景ではあるけれど、どこかあたたかい空気が流れていた。
一方その裏で──
「在庫、あと二個。魔力量、もう少しだけ上げたほうが良さそう。……“ピカピカりんごのつみきタワー”、次は緑色の発光石を使うか」
ジャックはバックルームで、帳簿と道具箱を広げながら、魔力量の微調整を行っていた。あくまで目立たず、あくまで“普通”の裏方として。
(……ああ、それにしても。王都は広い。こんな片隅でも、ちゃんと自分の居場所を作れるっていうのは、なんだか不思議な感じがするな)
カオス・ゲートの座標は、夜な夜な少しずつ安定してきている。パーセプション・ホールドで座標を魔法的に固定し、ディスタンス・ビジョンで誤差を修正する練習も続いている。
(まだ使えないけど……きっと、もう少し)
扉の外で、子供たちの歓声が響く。ユリスが話す声。レーナの笑い声。
ジャックは静かに、笑った。
* * *
(アリスによる締めモノローグ)
──空間転移魔法なんて、まだ夢物語。でも「居場所」っていうのは、物理座標とは違う。マナの強さでも、名の高さでも、ない。ジャックが作ったのは、そんな座標のひとつ。小さな店舗。無名の少年。だけど、確かに誰かが笑ってくれる場所。
……さあ、王都での暮らしが始まりました。彼らの魔道具と、成長の物語は、ここからです──。




