第36話 開かれし門、そして王都へ1. 魔法の練習
> 【アリスの語り】
> ジャックは、力を誇示するよりも、それを制御することの大切さをよく知っていた。
> 10歳の彼にとって、「目立たない」ことは、生き残るための最善策。
> その裏で、誰にも知られず、誰にも気づかれぬ努力が、ひっそりと進んでいた。
> これは、静かなる天才の、黙々たる練習の一幕である。
──朝靄が漂う、静まり返った森の奥。
グレイ=アルフォルトの結界に守られた訓練場は、外の世界から完全に隔絶されていた。鳥のさえずりも遠く、風の音さえ、ここでは微かなささやきにしか聞こえない。
その中心、苔むした岩の上に立つ少年――ジャックは、呼吸を整えながら両手を前にかざしていた。
「……アリス、座標誤差は?」
脳内に響くのは、いつもの冷静な声。
「最大誤差は0.32。改善は必要だが、進捗は良好」
「なら、次」
ジャックは軽く頷き、視線を遠くの木々へと向けた。
「ディスタンス・ビジョン」
彼の視界が歪み、空間の向こう――約300メートル先の岩陰が鮮明に浮かび上がる。
「パーセプション・ホールド」
固定された座標が、空間上に“しるし”として存在し始める。それを確認すると、ジャックは静かに右手を突き出した。
「カオス・ゲート」
空気がねじれ、空間がざわめく。周囲の靄が引き裂かれるようにうねり、漆黒の縁を持つ楕円形の門が現れた。
――だが、その内部は不安定だった。
ぐらつく重心、引き裂かれるような音なき波動。中心に黒い渦が生じたかと思うと、次の瞬間にはぱきんと音もなく崩れ落ち、跡形もなく消えた。
「……まだ安定しないな」
額の汗を拭い、ジャックは肩で息をついた。
「でも、あと少しだ。座標固定の精度は上がってる」
「その通り。繰り返しにより成功率は上昇中。ただし……」
「……魔力量が漏れないよう、制御も続ける、でしょ」
「その通り。君は“目立ってはいけない”」
ジャックは、ふっと笑った。苦笑に近い。これが、いまの自分に課された最大の課題だ。
──一方、その少し離れた場所。
開けた平地の隅で、ユリスが木製の標的に向き合っていた。
「いくよ……ガストブラスト!」
掌から発せられた風の弾丸が一直線に飛び、標的の中心を打ち抜いた。
「よし! 次は……」
彼は腰に巻いたポーチから、小さな魔力符を取り出し、足元の樹陰にこっそり設置する。
「サプライズボルト、設置っと……」
隠れた仕掛けに魔力を送り、構えながらそっと自分でトリガーを引いた。
びしっ。
足元で軽い電撃が走り、ユリスは思わず跳ね上がった。
「わっ……! 成功した!」
その顔は驚き半分、嬉しさ半分。素直な笑みがこぼれている。
彼もまた、自分なりの方法で魔法に向き合っていた。ジャックが静かな深みに魔法を追求するのなら、ユリスは実践と試行錯誤を通して、一歩ずつ成長していた。
──そして、そんなふたりの姿を、アリスは静かに記録し続けていた。
> 【アリスの語り】
> 表に出ることのない、孤独な修行。
> だが、その積み重ねが、やがて時を超えて誰かを救う力になる。
> ジャックはまだ幼いが、彼の選んだ「静かな道」は、確かに未来へとつながっていた。
> そして、同じ空の下、もう一人の少年もまた、小さな一歩を踏み出していた。
> ……世界は静かに、でも確実に動いている。




