第34話 沈黙の魔力、成長の光2. ダンジョン攻略(11〜20階層)
――語り:AIアリス――
かつて、「沈黙」は無力の象徴とされた。
だが、今この瞬間、それは最も強靭な防壁でもある。
ジャックの魔力は、ただ沈黙を守るために練られ、磨かれ、潜められている。
人知れず、彼は魔力という奔流に日々耐えている。
静けさの奥にあるのは、暴力ではなく意志。
気づかれぬことこそが、最大の力となるのだ。
――そして、この第11層以降の戦いが、それを証明する舞台となった。
***
「デザートクラブ、来るぞ!」
ディクスの叫びと同時に、砂が弾けた。
突如現れたのは、人の背丈をゆうに超える巨大な甲殻。
「……また蟹かぁ。砂漠ってカニもでかいんだな」
ジャックは軽くため息をついた。
周囲には、同じように砂中から跳ね起きるカニたち――いや、デザートクラブが複数。
背を丸め、慎重に手をかざす。
魔力量、制御。
深呼吸のたびに、魔力は静かに体内で沈んでいく。
“マナベール、良好。漏れなし。魔力分布、外縁部まで均一。”
アリスの冷静な分析が、脳内に届いた。
「ルアーバイト」
小声とともに、足元の砂へ魔法を仕込む。
すると、そこに向かってカニが一斉に突っ込んだ。
「今だっ!」
ディクスが陽動に飛び出し、サラの矢が宙を裂く。
まるで脚を引っかけられたように、巨大なカニがバランスを崩して転倒。
その隙に、ガルドの大剣が容赦なく振り下ろされた。
15階層。
空気が明らかに変わったのは、この頃だった。
「うわっ、クラッグ・ジャッカー!」
ミナの声と共に、砂煙が爆発した。
跳ねるように襲い来る、毛むくじゃらの獣。
それがミナの目前に現れたのは、ほんの一瞬の出来事だった。
「ミナ、伏せて――!」
ユリスの魔力が駆ける。
セーフティ・フィールド、局所展開。
さらに、詠唱を省いた補助支援魔法が立て続けに繰り出された。
「セイジズアシスタント……っ!」
魔法の光が、ミナの周囲を包み込む。
それでも、跳ね爪が間に合ってしまった。
刹那、ミナの肩口に裂傷。
鮮やかな紅が、結界の外縁に滲んだ。
「……すまない」
「……大丈夫」
呼吸を整え、ミナは立ち上がる。
傷は浅い。魔法が間に合ったのだ。
ジャックはひそかに眉を寄せた。
ユリスの魔力制御が、戦いの中で精緻になっている。
補助魔法の構成が以前より滑らかで、二重詠唱のタイムラグがほぼ皆無だった。
(進歩してるな……ユリス)
一方で、自分は――
今なお“見えない”存在であり続けねばならない。
20階層――。
気配が異様に静かだった。
そして、それは地面から来た。
「下だっ!」
ディクスが叫ぶより早く、地面が崩れた。
突き上げる土砂の奔流、現れたのは――
グラボイドの変種。
うねる胴体、砕かれる足場、砂ごと飲み込む突進。
「退けッ!」
サラが叫び、ミナが咄嗟に風の壁を張る。
ガルドの大剣が胴体を裂き、ディクスがその脚を狙って滑り込む。
ここだ。
ジャックの瞳が冷静に光る。
人知れず、魔力が密やかに流れ出した。
「ファントムケージ」
音もなく、巨大な幻影の檻が地中から出現。
突進の動きを封じる、透明な結界。
魔物が立ち止まる。
「サプライズボルト」
電撃が横合いから奔った。
それはまるで雷鳴のような合図。
仲間たちは、待っていたとばかりに再び動き出す。
そして――ユリス。
「セイジズアシスタント――重ねがけ」
彼の魔力が、明らかにこれまでと違った“圧”を持って立ち上がった。
一重、二重、三重――
魔法陣が連続して展開され、各員の集中力が高まり、呼吸が合う。
ミナの詠唱速度が倍増し、サラの矢は音すら置き去りにしていた。
ディクスの動きは迷いがなく、ガルドの剣は完全に間合いを支配する。
“支援魔法、臨界突破。ユリスの術式、上級補助魔導士相当に到達。”
アリスの解析が、静かに脳裏で告げた。
(……よし)
ジャックは黙って一歩下がる。
自分の役目は、ここではない。
目立たず、漏らさず、ただ必要なときだけ、機械のように。
そうして、地響きと共に、20階層の魔物が崩れ落ちた。
砂が静かに地へ帰り――しばしの、静寂が戻る。
***
――語り:AIアリス――
魔力とは、ただ量が多ければいいものではない。
隠す力こそが、真の制御。
ジャックの沈黙は、計算された意思だ。
だが一方で、ユリスの魔法は、成長という名の光に変わろうとしている。
沈黙の中で、確かに何かが育ちつつある。
それは、希望というにはまだ早すぎるが――
確かに、前へと歩み始めていた。