第34話 沈黙の魔力、成長の光1. ダンジョン攻略(1〜10階層)
> 【AIアリスによるモノローグ】
> かつて「システムリソース」と呼ばれた言葉が、この世界には存在しません。
> けれど、少年ジャックは知っていました。
> 出力を最大にするよりも、最小限の制御で結果を出す方が、遥かに高度な技術だと。
> 本日もまた、彼は“出力ゼロ”の天才として、誰にも気づかれぬまま歩みます。
> 沈黙こそが、彼の選んだ生存戦略。
* * *
「……ここが、砂の迷宮(ラスタ=デューン)の入口か」
視界に広がるのは、巨大な岩の口のような開口部。熱気と湿気が、まるで生き物の吐息のように押し寄せてきた。
その中へ、「風の獣道団」が、静かに足を踏み入れる。
「風向き、変わったわ」
ミナ・ルーシェの声が、風魔法の流れに重なる。
「よし、サラ。ディクス、左右を確認しろ」
前衛のガルド・ブレイバーが、大剣を肩に担ぎつつ、低い声で隊列を指示する。
この男はいつも落ち着いている。そして、怖いくらいに的確だった。
ジャックは、そのさらに後方。
魔力制御膜を、肌どころか髪の一本にまで張り巡らせながら、歩を進める。
『ジャック、0.6秒後に右上から微弱な熱反応。シャドウファング、距離8.2メートル』
「ありがとう、アリス」
ジャックの指先が、小さく弾けた。
《プラズマオーブ》を、わずかに揺らしながら展開。光量は蝋燭の半分ほど。
明るすぎれば、魔獣を刺激してしまう。だが暗すぎれば、味方が動けない。
“迷惑にならない照明”を、魔力で精密に調整する。まるでダイヤル操作のように。
「後衛、道はクリア」
ディクスが笑いながら戻ってきた。軽口の裏で、彼の額には薄く汗が滲んでいる。
「ほんっと、この湿気、地獄かよ……サウナかと思ったわ」
ガルドが無言で頷く。その肩には、さっき倒したばかりの《ランページボア》の血が、まだ生々しくこびりついていた。
*
「っ、来るよ! 左側から……犬の群れみたいなの!」
ユリスの声が、緊張で震えた。
《森林コボルト》。群れで襲い、牙と爪で食らいつく下位魔獣。だが――侮れない。
「セーフティ・フィールドっ!」
ユリスの両手から、淡い光の膜が広がる。半径3メートル。小さいけれど、確かに味方の足元を守る結界だった。
「フォーカス・ブースト、ミナさん、ディクスさん、サラさんに……!」
目に見えない光が、味方の眉間にスッと差し込むように注ぎ込まれる。
集中力が高まり、反応速度が一段と鋭くなる。ユリスの魔法は、少しずつだが確かに成長していた。
「ありがと。……安心して狙えるわ」
サラが短く礼を告げると、連続する弓音が鳴った。次々にコボルトが崩れ落ちる。
その間も、ジャックは黙って背後を見守っていた。
《魔力感知》は、アリスと連動して周囲の罠や隠れた魔獣の気配を逃さない。
足元を踏むごとに、振動と熱を読み取り、次に何が来るかを予測する。
『前方右、3メートル下に空洞。重さ110キロの生体反応。跳躍型の魔獣。』
「了解。罠、そこにあるね」
気配を殺し、手のひらを地面にそっと添える。
《マナベール》がさらに深く浸透する。まるで空間ごと包み込むように、魔力が見えない膜となって周囲を覆った。
誰にも気づかれないように。
ただ、“何もない”まま、敵を無力化していく。
*
「……ジャックって、すごいな」
ユリスがぽつりとつぶやく。額には汗。魔力の消費も多いはずだ。
だが、その目は前よりずっと強く、確かに前を見ていた。
「すごいんじゃない。すごくないようにしてるの」
と、サラが笑った。彼女だけは、わずかにジャックの異常さに気づき始めていたのかもしれない。
「魔力の“存在感”って、抑えるのって難しいのよ。あの子……あれだけ魔法を使って、まるで“いない”みたいでしょ」
「……うん。ぼくも隣にいて、時々わかんなくなる」
「ふふ、だから気をつけて。うっかり踏みそうになるわよ」
からかうような軽口に、ユリスが照れて頬を染めた。
だがその背後で、ジャックは魔力の膜をさらに広げていた。
地下五階。サンドスネークの気配が、すでに天井裏を這っていたからだ。
*
数時間後。ダンジョン十階層に到達した頃には、全員の息が少しずつ荒くなっていた。
ミナは魔力を節約するため、記録用の魔導板をしまい、ディクスは短剣の柄を何度も握り直していた。
ガルドの大剣は、すでに三度目の刃こぼれ。
ユリスの支援魔法は、精度と効果時間が僅かに伸びていた。目に見えた成長だった。
「ジャック、ねぇ、ぼく……もうちょっと、できてるよね……?」
「うん。すごく、よくなってる」
ジャックは穏やかに頷いた。心の中で、しかし、別の計算を進めながら。
“このままなら、あと三階までは安全域。だが、それ以上は……”
『その先は、既知の地図ではカバーされていません』
「だよね。準備、そろそろしとく」
いつもの口調。けれど、内心では《魔力抑制》の持続限界を見据えていた。
日が暮れれば、地下の気温は一気に下がる。湿気が奪われ、逆に呼吸が困難になる。
そして……彼らが出会う“未知”が、本当の試練を連れてくる。
* * *
> 【AIアリスによるモノローグ】
> “天才”とは、誰よりも光ることではなく。
> 誰よりも気づかれず、成果を出し続けられる者を指すのかもしれません。
> ――そして今日もまた、誰にも知られぬまま、少年は誰よりも深く、迷宮の闇を歩くのです。