第33話 隠された力、静かな歩み3. 冒険者ギルドでの登録
(冒頭・アリスの語り)
――『観測開始。対象:ジャック、現在位置:ザルクタン。都市規模、アルスティンの約四倍。人口密度上昇に伴う警戒モード、レベル2へ移行』。
静かに、そして確かに。少年ジャックの「歩み」は、目立たぬまま都市の奥へと進んでいく。魔力という名の深い水を、その身に隠して――。
◇ ◇ ◇
ザルクタンの城門は重厚で、鋼のような灰色が朝の光を跳ね返していた。角ばった石造りの塔が左右にそびえ立ち、門番たちの視線は鋭く、問答無用の厳しさを帯びている。
ジャックは肩にかかるほどの布のフードを目深にかぶり、人波の端を縫うように歩いた。ユリスはその横にぴったりとつき、小さく息を吐く。
「わあ……アルスティンより、ずっと広いね」
「声、少し小さく」
「……あ、うん」
群衆のざわめき。荷車のきしむ音。露店の掛け声。情報が渦を巻く中、ジャックの目は決して中心を見なかった。彼は流れに逆らわず、しかし呑まれずに都市の網の隙間を進む。
向かった先は、中央通りの外れにある一軒の建物。黒と銀の看板に、剣と杖の交差した紋章――冒険者ギルド・ザルクタン支部。
内装は石造りの質実剛健。掲示板には無数の紙が重なり、カウンターの奥では数名の職員が忙しげに応対していた。
その一人、若い男性の受付員がジャックたちの姿を見るや、目を見開いた。
「……おふたりは……見習い登録、ですか?」
「はい。ジャックと、ユリス」
「……9歳と、7歳……? 本来の規定年齢には、まだ……」
彼の視線が訝しむように動いたが、グレイが一歩、前へ出た。
「推薦者は、グレイ=アルフォルト様です」
その名が告げられた瞬間、受付員は息を止め、背筋をピンと伸ばす。
「そ、それでしたら……はい、はいっ。問題ありません。推薦者署名も確認いたしました。見習い登録、可能です!」
ジャックは静かにうなずいた。表情は変わらないが、指先にわずかな緊張が走っていた。
「……問題ありません」
ユリスが小さな声で、そっと囁く。
「やっぱり、師匠ってすごいんだね」
◇ ◇ ◇
夜明け前。ザルクタンの裏路地には、まだ人の気配はない。静寂の中、空気すら凍てつくような冷えが漂っている。
廃れた訓練場の隅。崩れかけた壁際で、ジャックはひとり、呼吸を整えていた。
「……ふっ」
深く吸い、ゆっくりと吐く。魔力を静かに巡らせ、身体の内にある無限の泉を封じ込める。
《魔力流出率、限界値以下。マナベール、完全展開中》
アリスの声が、脳内に淡く響く。
ジャックは、壁と影の間を滑るように動いた。音を立てず、気配すら感じさせず――その存在を「都市の雑音」に紛れさせていく。
「……完璧じゃなくていい。痕跡を、残さないだけでいい」
その呟きには、焦りも高望みもなかった。彼の目的はただ、そこに「いた痕跡」を消すこと。
一方、少し離れた場所では、ユリスが支援魔法の練習をしていた。両手を胸の前で合わせ、小さく呪文を唱える。
「セーフティ・フィールド」
淡い光の膜が、ゆるやかに彼の周囲を包む。
《成功率、前回より12%上昇。ユリス、成長が確認されました》
「やった……!」
小さくガッツポーズをとるユリス。その表情には、確かな喜びと、弟らしい無邪気さが浮かんでいた。
すぐに次の呪文へと移る。魔法の言葉は、まだ幼さの残る声に乗って、正確に空気を震わせた。
その様子を見ながら、ジャックは一瞬、歩みを止めた。
「……支援魔法なら、誰にも気づかれずに力を貸せる」
風が訓練場の隙間を抜けて、少年たちの影を揺らしていった。
◇ ◇ ◇
夜。都市の喧騒が眠りにつくころ、ジャックはギルド宿舎の屋上にいた。
高く広がる星空。その下で、彼は静かに息を吐き、つぶやいた。
「僕は戦わない。目立たない。それでも……守る準備は、しておく」
《制限された行動範囲でも、ユリスの支援成長を補助すれば、戦線維持に貢献可能です》
アリスの言葉が、星の光のように冷たく、しかし優しく響いた。
ふと、足音もなく隣に現れたユリスが、並んで空を見上げた。
「ぼく、もっと上手に支援できるようになるから」
ジャックは小さく頷いた。言葉では返さなかったが、その目ははっきりとした意志を湛えていた。
その光景を、遠くの屋根の陰から見つめる者がいた。
灰色の外套を羽織った老魔導士、グレイ=アルフォルト。
「……さて。この静かな旅が、いつまで続くか、だな」
微かに笑みを浮かべ、グレイは夜の闇に姿を溶かした。
(終幕・アリスの語り)
――『観測終了。行動記録:隠密移動、支援魔法訓練、都市適応。現状、目立つ行動なし。だが――』
少年の歩みは、静かで、そして確かな波紋を残している。誰にも気づかれぬように。けれど、確実に。
目立たぬままに、世界を少しずつ変えていく。それが、ジャックという存在の「力」なのだ。




