第32話 砂に沈む影3. 砂嵐と連携襲撃
*──解析開始。砂嵐の発生と同時に、視界と認識のゆらぎが検出されました。
気づかれずに動く者の存在は、戦場における最も危険な変数です。
けれど──彼は、変数であることすら望まなかったのです。*
夜明け前の砂漠は、静かで、冷たく、底知れなかった。
地平線の向こうにかすかな光が差し始めたその時だった。
「……来るわよ。変な風の音、聞こえない?」と、サラ・エルグレインが眉をひそめた直後、
一陣の唸りが砂面を這い、空気が揺れた。
「……おいおい、またかよ。朝飯前にこれとはな!」と、ディクス・ファウルが嘆く暇もなく、
風が巻き、砂が唸った。突如、天から地を裂くような濁流の風が降り注いだ。
**砂嵐だった。**
それは「嵐」などという生易しいものではない。
視界を奪い、音を掻き消し、息さえまともにできない。
乾いた唸りと共に、細かい砂粒が皮膚を斬るように打ちつけてくる。
「全員! 遮蔽を取って!」ガルド・ブレイバーの低い声が飛ぶ。
それでも誰も前は見えない。声すら風に呑まれる。
その混乱を待っていたかのように、
**それら**は現れた。
──デザートウルフ。
──サンドレイダー。
四足で這う影が砂中から躍り出て、
二足歩行の獣影が、狂気の声と共に襲いかかる。
「……セイジズアシスタント!」
ユリスの叫びが、砂を裂いた。
目も開けられない中、幼い彼の小さな掌から
やわらかな光が、じんわりと広がってゆく。
魔法陣が浮かび、薄緑の光が仲間たちを包んだ。
──セーフティ・フィールド。
──フォーカス・ブースト。
──エンライトメント。
三重の支援が即時に展開され、仲間の皮膚に、筋に、視界に、ひとときの安寧が宿る。
その光を支えながら、ユリスは額に汗を浮かべつつも──歯を食いしばった。
「……支援、完了しましたっ……!」
まだ震える声。でも確かだった。
以前よりも、速く。正確に。そして、広く。
彼は、確かに成長していた。
その影に隠れるように、**ジャック**は動いた。
足音すら立てず、魔力の一片も漏らさぬように。
砂嵐に紛れたサンドレイダーの一団に、そっと手をかざした。
──《ルアーバイト》
目には見えぬ「餌」が空間に展開される。
魔力の甘い誘いをまとったそれは、
獣のような知覚しか持たぬ者たちを、まるで導線のように誘い込んだ。
隊列から離れた一匹が、ぬるりと誘導された先に、
何の変哲もない砂地──その奥に仕掛けられた、静かな罠。
「……食いついた」
ジャックは小さく呟き、もう片手を掲げる。
──《ファントムケージ》
砂煙にまぎれ、不可視の檻が展開される。
まるで空気の層そのものが変質したかのように、
突進してきたデザートウルフの動きが、急に鈍くなった。
一瞬、何が起きたのかわからぬような様子で、
そのまま、彼らは音もなく動きを止める。
誰にも気づかれることなく。
誰にも見られることもなく。
彼は「そこ」にいただけだった。
「レイダー、あと3! 囲まれる前に崩す!」
「了解! 中央は任せて、右に回りこむ!」
ビーストトレイルの動きは、実に鋭かった。
嵐の中でも、自分たちの守るべき場所と、倒すべき敵を見失わない。
ユリスの支援に守られながら、ガルドの剣が砂を裂き、
ミナの風魔法が精密に敵を削る。
サラの矢は、的確に敵の脚を貫いた。
一匹、また一匹と、影が崩れ落ちていく。
けれどその戦いの裏側には、
もう何体もの敵が、ジャックの手によってすでに無力化されていた。
それを誰も知らない。
──そう、彼は「戦ってなどいなかった」のだ。
記録も、証拠も、戦果も、何ひとつ残らない。
けれど確かに、そこには“彼の仕事”があった。
そして──朝が来た。
砂嵐は収まり、ようやく視界が戻る。
風が止み、まばらな陽光が砂丘を照らし出すと、
遠く地平線に、うっすらと岩山の影が浮かび始めた。
静けさが戻った砂の上、
皆は肩を落とし、疲労の色を隠さなかった。
その輪の外、冷え切った焚き火の横に、
ジャックは一人、膝をつき、ノートを開いていた。
──ユリスの魔法展開速度、実戦で初の四秒切り。
──サンドワーム、反応速度0.3秒以内、捕食範囲約6m。
──自身の魔力制御、最大出力時の誤差0.07%。
砂粒が紙の隙間に入り込んでくるのも構わず、
彼は黙々と記録を取り続ける。
魔力量は測れず、力を示す場もない。
けれど──
**誰にも見られなくても、
彼は確かに、“戦っていた”。**
*──アリスより追記。
存在を知られぬまま、世界を支える者もいる。
その名が語られることはない。
だが……この記録だけは、未来に残るべきでしょう。*