第31話 旅立ち準備2. 市場での装備調達
――もし、空気よりも静かに、地面よりも存在感を薄くすることが可能だとしたら。
それは魔法か、それとも――ただの気配遮断スキル?
……ふふ、それがジャック君という少年の「日常」だとしたら、あなたは信じますか?
私は、信じます。なにせ彼は、あの人の弟子なのですから。――AI『アリス』記録ログより。
***
ヴェルトラの中心市場――その日は快晴。
陽射しが石畳に反射し、照り返す熱気に露店の布屋台がパタパタとはためいていた。
香辛料と革製品、炙られた魚介の匂いが入り混じり、活気ある人々の声が交差する。
そんな中、ひときわ静かな一団が歩いていた。
前に立つのは大剣を背負ったガルド・ブレイバー。
後ろに控えるのは、双短剣を腰に揺らすディクス・ファウルに、ローブを翻すサラ・エルグレイン、そして……その陰にそっと潜む、ジャック。
「……《マナベール》、維持中」
小声で呟き、ジャックは呼吸を整える。魔力が漏れないよう、皮膚のすぐ下に極薄の膜を意識して張り巡らせる。
「……5.4%の揺らぎ、再修正」
アリスの音もなく届く分析結果に応え、微調整を加える。無音の作業だった。
「おーい、こっちだ! 安くて丈夫なクロークがあるぞ!」
バロー・クーゲンの声が市場に響いた。大声だが、親しみがあり、警戒を解く響きがある。
荷車の横で布の束を確認していたサラが頷いた。
「白がいいわよ。砂漠は照り返しが強いから、涼しい色で熱を逃がせるしね」
差し出されたローブを手に取り、ユリスが控えめにうなずく。
「……ぼく、これ使えます」
ユリスはおずおずと、小さな手で腰のポーチを開いた。黒革のマジックバッグだ。見た目はただの袋だが、空間拡張魔法が込められている。
バローが目を丸くした。
「おおぉ、それを使えるのかい? へぇ……どこで習った?」
その刹那、ジャックがさっと割り込む。
「師匠に教わりました。中には小物しか入ってません」
ディクスがくつくつと笑う。
「小物ねぇ? まぁ、中が見えないってのが魔道具の怖いところだけどな。爆弾でも詰められるし」
「実際、助かるわ。ありがとね、ユリス」
サラがにこやかに言って、ユリスの頭を軽く撫でた。少年は頬を赤らめ、小さくうなずく。
***
装備の調達は順調に進んだ。ジャックは黙々と、目立たぬように品物の重さと機能だけを見て判断を下していた。
「防塵ゴーグルとフィルター。風が強い日は目と口がやられる。軽視しないで」
ミナ・ルーシェが並べた品に視線を落としながら、ジャックはゴーグルの縁に触れた。シリコンに近い柔軟素材が用いられている。悪くない。
「高靴(防砂)もな。砂地じゃ大人でもズブズブ沈むんだ。子どもならなおさら」
ディクスが示した革製の編み上げ靴を、ジャックは手に取った。軽い――が、つま先が弱い。補強は要るな。
「断熱クローク。夜は冷える。備えとけば風邪も引かん」
ガルドが言いながら試着させた。布の内側に薄い鱗状の織物が縫い込まれている。熱を反射する構造らしい。
(……マナシールドを薄く重ねれば、夜間の寒暖差もカバーできるか)ジャックは心の中でつぶやいた。
バローが保存ポーチを複数広げながら首を傾げた。
「うん、このポーチならそこそこ保つ。まぁ、あまり信じすぎるなよ。内袋が破れると悲惨だ」
そして――携帯型の日除けシートが現れる。折りたたみ式の布と金属支柱のセットだ。
「……支柱を三段式にして、風抜きを上部に……軽くできる」
ジャックが思わず独り言を呟いた瞬間。ミナが横目で彼を見た。少し眉を上げるが、口は開かない。そのまま、ノートを広げ、さらさらと書き記す。
最後は野営用品。鍋や水袋、簡易寝具に混じって、小さな光源――魔力灯が並んでいた。
そのとき、ユリスがそっと手を挙げる。
「……灯りは、ぼくが出せます」
小さく呟くと、両手のひらを合わせ、目を閉じる。
《プラズマオーブ》――青白い光が、音もなく現れた。薄膜に包まれた球体が、昼の光の中でなお目を引く美しさを放った。
ミナは言葉もなく、その様子を見つめていた。そして、手帳にまた一筆を加えた。
***
装備を背に、市場を後にする頃――ジャックの《マナベール》は一度も乱れることなく、魔力の揺れも感じられなかった。
子どもであることを盾に、農民出身であることを背に隠し、彼はただ、透明な一存在としてそこにいた。
……けれど、彼の沈黙の背後で、もう一つの《成長》が確かにあった。
ユリスの魔法は、ほんのわずかに安定性と持続力を増していた。彼の魔力は、仲間の中で静かに馴染み始めていたのだ。
――目立たぬように、それでも確かに歩を進めている。
それが、ジャックたちの「旅立ち準備」の、真の意味だったのかもしれません。
……では次のログをどうぞ。――AI『アリス』記録ログより。




