第30話 それぞれの魔法、旅立ち3. 失敗からの学び
――さて。人間とは、不思議な生き物です。
「無理」と言われても挑むし、「まだ早い」と言われても走り出してしまう。
でも、だからこそ彼らは、伸びる。――私は、そんなふうに観測しています。
*──AI『アリス』*
朝露が草葉を濡らし、淡く光る。
深緑の森に囲まれた野営地で、ジャックはひとり、黙々と鞄の縫い目を確認していた。見た目は普通の革製の肩掛け鞄。だが、その中には、魔法の空間が詰まっている。
「よし……動作確認、いってみようか」
ジャックはゆっくりと息を吐き、手をかざす。
「エクステンド・スペース、展開。……エンチャント固定。コフィン・シール、内周囲……っと。最後、エターナル・ヴォールト、時停止!」
鞄が静かに震え、ふわりと光を発した。内部に繋がる空間は、十数畳分の広さ。試しに放り込んだ木の実は、ぴくりとも動かない。時間が、確かに止まっている。
『魔力消費は効率的。これは実用に耐える。……ジャック、やったな』
アリスの冷静な分析が、じんわりと胸に染みた。
「……俺でも、ここまでやれたんだな」
農家の息子が、王都の魔術師にも難しい複合魔道具を作り上げた。革の匂いが鼻をくすぐりながら、ジャックの目が細められる。誇らしげな、でもちょっと照れたような笑みだった。
そのころ、少し離れた丘では、グレイとユリスが何やら魔法の訓練をしていた。
「ユリス、魔法陣を重ねろ。恐れるな。構成はもう叩き込んだだろう」
「うん……いける、はず!」
ユリスの小さな体を、光の円が幾重にも包む。
フォーカス・ブースト、エンライトメント、そして――
「セーフティ・フィールド!」
展開された防御結界が、空気を震わせた。連動する三重の補助魔法が、彼を中心に緩やかに回転する。
「……セイジズアシスタント、成功、です!」
声は震えていたが、その目は、まっすぐに光っていた。
「お前には、人を支える力がある」
グレイの言葉に、ユリスの背筋が伸びた。
ちょうどそこに、ジャックが駆け寄ってきた。
「見たぞ、ユリス! すごかった!」
「ジャックも、完成したんだよね? あの鞄、すごく便利そう……」
「中で時間止まってるんだぜ。……なに入れるかは秘密だけどな」
ふたりの笑い声が、森に溶けていく。
そのあと、三人は川辺に移動し、グレイの指導で高等魔法の訓練を行うことになった。
「まずは……ディスタンス・ビジョンからだ。ジャック、目標はあの分岐岩だ」
「了解、座標……補正。ディスタンス・ビジョン!」
森の奥、川の流れの先にある岩の形が、視界にくっきり浮かび上がる。
「成功。次、パーセプション・ホールド」
ジャックは草むらを走る野ねずみに集中する。
「対象、固定……よし、いける。パーセプション・ホールド!」
小さな動物の輪郭が、淡く光って揺らがなくなる。ユリスが思わず拍手した。
……が、次の瞬間、空気が一変した。
「カオス・ゲート、起動――」
ジャックの周囲に、空間の歪みが発生する。見えない裂け目が、音もなく振動する。
「駄目だッ! 魔力遮断!」
グレイが素早く術式を上書きし、魔法を強制終了させた。
空間の揺れは止まり、場の緊張も緩む。
「これは……まだ早い。下手をすれば、次元の裂け目を作る」
「……っすみません」
ジャックは悔しそうに唇を噛む。
けれど、グレイは首を振って言った。
「失敗は悪くない。大事なのは、限界を知ることだ」
ジャックは深くうなずいた。その背後で、アリスの声が囁く。
『制御不能な魔法は、知識だけでは扱えない。――でも、理解に向けた一歩は確かに進んだ』
その日の午後、荷物の整理を終えたあと、グレイはふたりに向き直った。
「……お前たちだけで、しばらく行動してもらう。私には、やるべきことがある」
風が、グレイの外套を揺らす。
「え……?」
ジャックとユリスが同時に声を上げた。
「心配はいらん。目的地でまた会おう。お前たちには、もう“足”がある」
鞄を肩にかけるジャック。魔法陣に包まれたユリス。ふたりの少年は、確かに成長していた。
「わかった。気をつけて、グレイ」
「うん、すぐ追いつくよ」
老魔導士は、微かに笑い、森の奥へと姿を消していった。
――人は、失敗から学ぶ。
過ちを重ねながら、知り、考え、築いていく。
今日のふたりの瞳は、昨日よりもずっと、前を向いていた。
*──AI『アリス』*