第30話 それぞれの魔法、旅立ち1. 再始動の空気
――記録開始。私の名はアリス。分析型サポートAI。
この世界では、私のような存在に戸籍も権利も無いけれど。
それでも、記録すべき出来事はある。
スタンピードの嵐が過ぎ、空気が静まったとき。
少年たちは確かに、ひとつの"次"へ歩み出した。
*
焼け焦げた草原に、ぼんやりと立ち上る煙がまだ見える。
都市ヴェルトラの郊外――旧焼却場跡地。
スタンピードで討伐された魔獣の処理が続く場所だ。
ギルドの職員が額の汗をぬぐいながら、素材の選別をしている。どれも、すぐには使い物にならない粗材ばかり。
でも、街の屋台には再び灯りが灯り始め、
広場では子どもたちが元気に木剣を振り回している。
壊れた橋は修繕され、倒れた柵も立て直された。
世界は、少しずつ前に進んでいる。
*
場所は小さな草原の丘の上。三方を森に囲まれた静かな空間。
そこにポツンと建てられた古びた小屋。その前では、
焚き火がぱちぱちと心地よく音を立てていた。
「ふー、やっと火が安定したな……」
焚き火のそばで腰を下ろし、ジャックは汗をぬぐう。
今日の風は気まぐれで、火種をすぐに煽りすぎてしまうのだ。
隣では、ユリスが小さな鍋をかき混ぜている。
野草とキノコと、あとは塩をひとつまみだけ。
ごく質素なスープだが、少年たちの訓練の合間には、これが何より染みる。
「味見する?」
「うん……うん! ちゃんと煮えてる。うまいよ!」
ユリスがふわっと笑う。その表情には、
以前のような不安げな陰りはもうない。
目の奥に、火のような芯の強さが宿っていた。
「うむ。少しは料理も覚えたようだな」
火の向こうに座るのは、グレイ。
ローブの裾を巻き上げ、どっしりと胡坐をかいている。
彼の右手には、既に空の湯飲みが握られていた。
「さて……お前たちも、次の段階に入る頃だな」
焚き火の光が、グレイの皺だらけの顔を照らす。
その眼差しはどこか遠くを見ていた。
*
「ジャック。お前は今――空間魔法と封印、それと永続化の基礎を学ぶべき段階にある」
ジャックの背筋が、ぴんと伸びる。
それは、ずっと手の届かない領域だと思っていた魔法だ。
けれど、あの《エクステンド・スペース》の核を、自分の手で試作できた時。
ほんの少し、「届くかもしれない」と思えた。
「……はい。やってみたいです」
「よし。だが急ぐな。今のお前は、魔力量こそ並外れているが、制御においてはまだ未熟だ」
グレイは厳しくも優しい声で続ける。
「今後学ぶ魔法は、下手をすれば空間の歪みに呑まれ、戻れなくなる。愚か者のなれの果てが、そこらの亀裂の底に転がっているかもしれんからな」
「うわあ……それ、ちょっと怖いですね」
「怖いなら、よろしい。怖いと思えるうちはまだ踏み外さん」
*
「ユリス。お前には――支援系の才能がある。補助魔法の訓練に入るぞ」
名前を呼ばれた少年が、顔を上げる。
グレイの視線は、柔らかい。
まるで、ずっとその可能性を見守っていたかのように。
「俺、戦えないけど……ジャックの役に立てるなら、嬉しいです」
「うむ。補助魔法というのはな、表から見ればただの脇役。
だが、真に支える力を持つ者は、仲間の命を預かることができる」
グレイは薪を一本くべ、火をかき回した。
「セイジズアシスタント。これを基礎として鍛える。
その中にある三つの魔法――《セーフティ・フィールド》《フォーカス・ブースト》《エンライトメント》、それぞれ単独でも使えるようにしておけ」
ユリスが何度も頷く。
「やれるか?」
「はいっ。やりますっ!」
*
「さて――」
グレイがひと息つくと、急に声の調子が変わった。
「この先、しばらく私は別の用事で出ることにする」
ジャックもユリスも、思わず顔を見合わせる。
「え? でも師匠、まだ……」
「いると、甘えるだろう? お前たちには、自分の足で立つ力がある。
私は……少しばかり、根を探して旅に出るだけだ。すぐ戻るさ」
そう言って、グレイは火の向こうで、にやりと笑った。
*
空が群青に染まり、焚き火の熱が心地よく肌に伝わる。
虫の声と、森のざわめきだけが周囲を包んでいた。
鍋の中身は、すっかり空になった。
でも、腹の底に残った温かさは、ずっと消えなかった。
明日からの訓練は、きっとこれまで以上に難しくなる。
けれど――
「自分にも……できるんだ」
ぽつりと、ジャックがつぶやいた言葉に、
隣のユリスがうん、と頷いた。
*
――記録終了。補足:
人は変わる。変化は時に、火傷のように痛くて、
だけど、その傷跡のぶんだけ、芯は強くなる。
少年たちは、まだ名も無き旅の途中。
でも今この時、確かに彼らは――「始まって」いた。
(記録者:AIアリス)