第27話 本命の影1. 来たる本命の気配
> ――《記録再生中:魔力解析サブシステムNo.3より》
> 「歴史は、必ずしも表舞台で語られるものではない。
> 真に戦局を左右するのは、しばしば静寂の中で編まれる。
> ……今回の“あれ”も、そうだった。
> まったく、ジャック。あなたという子は、つくづく“見えない地雷原”を趣味で設置して回るのね」
> ――AIアリスの観測メモより
まだ夜の色が空に名残を残していた。
東の空がほんのり藍に染まり、まるで世界そのものがあくびをしているような時刻。
石壁都市ヴェルトラ――その北門前線。
寒さが兵士の甲冑を冷やし、しばしば軽い金属音が風に紛れて聞こえる。
だが、この朝は――音がなかった。あまりにも、何も、聞こえなかった。
「……風、止まってるな」
ぽつりと誰かが呟いた。
濃い霧が足元を這い、地平の先を呑み込んでいる。だが、霧が原因ではなかった。
兵士たちが次々に顔を上げた。
訓練でもなく、命令でもなく――ただ、条件反射のように。
「何かが来る」という確信が、首の後ろをぞわりと走るような感覚と共に背筋を登ってきた。
「な、なんだこの空気……」
若い兵士がうわずった声で呟く。
言葉に出しても、誰も応えない。喉が、乾く。冷や汗が、背中を滑る。
ジャックもまた、霧の向こうを見ていた。
師匠のグレイは前線からやや距離を取っている丘の上、そこで魔力探査の準備をしている。
ユリスは寝袋の中でまだくーくー寝ている(とても幸せそうな顔で)。
「アリス……あれ、来た?」
《反応数、変動なし……ただし、魔力密度、臨界突破》
《ジャック、これは“視えないだけ”の反応です》
「うわー……つまり“めっちゃヤバいやつ”ってことだね?」
《正確には、“まともに数えられないほどの質量と魔力を持つ何かが、こちらに向かっている”です》
「どっちにしろ逃げたくなるわぁ……」
ジャックが一歩、後ずさる。
だが、地面が……鳴った。
ぼん、ぼん、と。
低く、鈍く。
心臓の鼓動とは別に、足元から這い上がってくる、得体の知れない震動。
「……ッ!」
兵士たちが、武器を構えた。
だが、音が聞こえない。
足音も咆哮も、地鳴りすら“霧”がすべてを吸ってしまっていた。
それでも、感じた。皮膚で。骨で。
「来る」と。
霧の向こうに、影が見えた。
いや、あれは……影ではない。山だった。
そう思うほどの黒い輪郭が、複数、霧を押し分けるように姿を現す。
「あれ……これは……」
「……獣じゃない」
呟いた兵士の声は震えていた。
だが、その言葉は、誰の心にも刺さった。
獣ではない。
捕食者でもない。
それはまるで、「大地そのものが歩いてくる」ような、静かなる破滅の形。
“重魔獣群”。
数えきれないほどの巨体。
その一つひとつが、グレートベアより大きく、ベヒモスすら小さく見えるほど。
だが、咆哮もなければ、駆け足もない。進軍すら“無音”。
動かない空気の中、彼らだけが進み、世界だけが凍りついた。
ジャックは、そっと小声で呟いた。
「……“サプライズボルト”は、もう撒いといたし、
“ルアーバイト”も三箇所、配置完了。
“ファントムケージ”も展開済み。
“パーセプション・ホールド”の認識固定もバッチリ……。」
あとは……気づくかどうか、だなあ」
ジャックは空を見上げた。
その瞳に、怯えはない。ただ、冷静な静けさと、ほんの少しの興奮があった。
まるで、チェスの盤上に仕掛けた罠が、ようやく動き始めたのを見ているように――。
> ――《再生終了:AIアリスによる補足解析メモ》
> 「本命は、すでに動いていた。
> だが、その歩みは誰にも知られず、ただ霧の向こうに潜んでいた。
> 目に見えない力の価値を知る者だけが、それを察知し、震え、跪く。
> ……“影”とは、そういうものよ」
> ――AIアリス




