第26話 迎撃戦、開幕5. 静寂と第二波の予兆
――静けさとは、時に最も不吉な兆候です。
それが戦場であれば、なおさら。
反応の消えた探査網の中に、次のうねりを待つ沈黙が息を潜めていました。
私はそれを、数字と波形のずれとして検知していました。
(アリス/観測記録ログ第3章より)
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第一波が撃退されてから、わずか数十分。
市民たちの避難は予想以上に整然としていた。
年長者は幼い子どもを導き、荷車を押す商人たちは率先して最後尾に回り、整然と列を保っていた。
それを誘導するのは、自治団による臨時警備班と魔術ギルドの見習いたち。
「左通路は開放済み! 急げ! 次、六区画の班、こっち!」
飛び交う声と光球が、どこか戦場というよりも、整備された大祭の警備のようにすら見えた。
だが、ジャックはわかっていた。
これは、ほんの束の間の静けさに過ぎない。
「……ジャック、こっちにおいで」
グレイの声が、静かに響いた。
防衛線の一角、高台の見張り櫓に上がったジャックは、街を俯瞰するように立った。
遠く、瓦屋根の彼方に見えるのは、第一波によってえぐられた防衛結界の痕跡。
街の外縁を守る第一層は、すでに再展開の途中だ。
結界担当の魔導士たちは、数人ずつが詠唱を分担しながら、淡い光の網を再編していた。
「これは、先遣隊だった。本命はまだだ」
グレイがそう言った時、その声にはいつもの皮肉や飄々とした軽さがなかった。
「アリス。次の波の兆候は?」
ジャックが意識を向けると、すぐに返答が返ってくる。
『魔力感知範囲内、東南東1.2キロ地点にて断続的な魔力振動を確認。推定対象数――十を超えます。
ただし、振動周期に統一性はなく、個体差が大きいです。』
その一言に、グレイが眉を寄せた。
「……やはり、来るか。いや、これはもう……来ているな」
観測板に映し出された、波形。
第一波と違って、今度のそれは、はっきりと「制御された魔力」で構成されていた。
周囲の探知網を避けるような軌道。
そして、中心をなすように存在する――巨大な魔力塊。
「なんだ、あれ……まるで……ひとつだけ、桁が違う……」
ジャックが呟いたその先には、
波打つような形で揺らぐ黒い塊。
『単体反応。個体名不明。種族特定不能。
ただし、既知のシャドウファングに酷似した特徴を一部に含むことから、変異個体の可能性が高いと推定されます。』
その姿は、黒い霧が獣の形をとったような不気味さを帯びていた。
影のように揺らぎながら、しかし、確かに地を踏みしめて歩んでいる。
「まるで……知性があるみたいだ」
ジャックのその言葉に、グレイが静かに答えた。
「知性じゃなくても、本能で統率されてるようなものだ。……だが問題は、あいつがどう動くかだな」
ジャックの指先が、無意識にノートの端をなぞった。
いま自分にできるのは、戦うことじゃない。
見届け、記録し、備えること。
その思考のさなか、結界の光が再び明滅する。
第二層の迎撃陣が配置につき、魔導士たちが杖を構え始めた。
「――来るぞ」
グレイの声とともに、
黒い霧が風を割り、音もなく跳躍した。
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――静けさは、破られるために存在する。
予兆はすでに、空気を刺すほど濃密に迫っていた。
これはまだ、嵐の入り口にすぎません。
けれどその渦の中に、確かにひとつ、異なる知性の気配がありました。
(アリス/分析ログ追記)