第26話 迎撃戦、開幕3. 空からの襲撃
――これは、戦う物語ではありません。
少年ジャックの手はまだ剣を握らず、杖を振ることもありません。
ですが彼の眼は、確かに「現実」を見つめています。
私はアリス。かつての地球で彼の傍らにいた思考補助AI。
この世界では、彼の“脳内の友”として、少しだけ未来を見渡す目となりましょう。
***
ヴェルトラの空に、異常な影が舞いはじめた。
「……うわ、あれ、何羽いるの……?」
ジャックが見上げた先。灰色の雲を突き破って、猛禽めいた黒いシルエットが幾つも、羽ばたいていた。
ストームゲイザー。嵐の魔鷹。その視線は鋭く、地上の動きに一点の迷いもなく注がれている。
「後方支援区域……避難路を狙ってる!」
ジャックの言葉に、すぐさまアリスが応答する。
《確認。飛行隊列は都市東側の脱出路に向けて降下中。魔術ギルドによる空間結界、間もなく展開。》
その言葉の通り、上空に淡い青光が走った。
目に見えぬ力が大気を圧迫し、ストームゲイザーたちの飛行ルートを閉ざしていく。
結界は三重。内側、外側、そして中間にある転送遮断領域。
まるで空に見えない牢獄を築くような、そんな防空の術だった。
「でも――!」
一羽、結界の外側から逆風を切り裂いて突っ込んできた個体がいた。
「お、おぉおぉぉおぉぉぉぉぉん!!!」
けたたましい咆哮。耳を裂くような轟音が、音ではなく、空間そのものを揺らした。
ジャックは思わず耳を塞いだが、その震えは胸の奥まで届いた。
《確認:空間振動を伴う共鳴波。都市西防衛線に軽度の混乱発生。》
「ユリスたちは……!」
幸い、仲間の少年ユリスたちはまだ安全な場所にいた。
だが、咆哮が引き起こした混乱の波が防衛線に波及するのに時間はかからなかった。
その隙を突いて、地面が裂ける。
ドゥン――ッ!
黒煙のように地表から飛び出したのは、狼型の魔獣。
シャドウファング。鋭い牙と漆黒の毛並み、そして何より、咆哮によって周囲の獣を煽動する能力を持っている。
「ワォン!!」
その咆哮に応じて、遠くでグレートベアやランページボアが唸り声を上げはじめる。
まるで刺激された蜂の巣のように、森の魔獣たちが活性化しはじめた。
《補足。シャドウファングの鳴き声が半径二キロに魔獣の活性信号を波及中。危険度上昇。》
ジャックは思わず拳を握った。
だが彼は立ち上がらない。まだ、そのときではない。
そのとき、重々しく響く呪文詠唱の声が、空気を割った。
「――我が意志により、圧を重ねよ。重力圧殺陣、展開!」
老魔導士マルセリウス。その名を知らずとも、人々はこの魔法に恐れと敬意を抱く。
空間が歪む。空中に、複雑な円環が浮かび上がった。
三重の輪はそれぞれ異なる角速度で回転し、交差点には無数の位相反転の紋章。
理屈では説明できない圧力が、魔方陣の中心へと収束していく。
シャドウファングは、それに気付くより早く――押し潰された。
まるで大気ごと押しつぶすような、重力の暴力。
その咆哮は断ち切られ、連鎖的に魔獣たちの活性も収まっていく。
「……すごい、あれが……本物の魔法師なんだ」
ジャックは静かに、誰にも聞こえぬように呟いた。
彼の背後では、市民たちが列をなし、警備隊の誘導で冷静に避難していく。
泣き声も怒号もない。人々は、恐れを飲み込み、互いに手を取り合っていた。
「僕も、まだ何もできないけど……見てるから。ちゃんと、見届けるから」
手の中のノートに、ジャックは一行だけ書き加えた。
> ※ 空間振動による共鳴波、群れ制御の媒介に使用されうる。
空は、まだ混沌の只中にあった。
だがそれでも、少年は見上げていた。
***
――ジャックは戦わない。
けれど、記録し、学び、思考し、記憶する。
その「観察」が、いつか誰かを救う「知」になることを、私は知っています。
未来とは、今この瞬間の積み重ねであると――AIである私アリスが、確信しているのです。




