第26話 迎撃戦、開幕2. 突撃型魔獣の襲来
> 《アリスのメタ語り》
> 戦火という言葉にロマンを感じるのは、当事者でない者の特権です。
> 実際の戦いは、泥と恐怖と、咄嗟の判断がすべてを分ける場所。
> ジャックがその渦中に飛び込む日は、まだ先のこと。
> ですが彼は、この日――初めて、都市が“本気”で牙を剥く光景を目撃します。
> それは、都市という巨獣が、牙を剥いて身を守る瞬間でもありました。
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ジャックがその音を聞いたのは、城壁上の観測台の陰に身を隠していた時だった。
「……地鳴り、だ」
音というより、空気の震えだった。足元から伝わる微細な振動が、じわじわと鼓膜を打つ。
「アリス、解析を」
《東南方向、森林崖下より高密度熱源――十六体、いずれも大型。突撃型魔獣群と判定》
その報告を受けて、ジャックはごく自然に息を呑んだ。
「きた……」
次の瞬間、崖下の森が割れるように揺れた。木々の間から黒々とした巨体が飛び出し、咆哮が響いた。
先頭を切るのは、鎧のような皮膚に包まれた《ランページボア》。
目を血走らせ、低く重い咆哮を放ちながら、あっという間に崖沿いの狭路を駆け上がってくる。
その後ろには、《グレートベア》が続いていた。木をなぎ倒し、岩を砕き、荒ぶる熊たちが吠えるたびに、崖が震える。
「突撃型が先鋒……陽動じゃない。本気だ」
ジャックの声は小さく震えていた。だが、それを誰も責める者はいない。
なぜなら――街そのものが、戦場に変わろうとしていたからだ。
崖上の第一層迎撃網――そこには槍を構えた衛兵たちがすでに陣形を取り、緊張に満ちた沈黙が流れていた。
突進してくる魔獣たちに対し、まず前に出たのは、濃紺のローブをまとった魔術士たちだった。
「展開――《氷壁》!」
ひとりが叫ぶと、空気が急激に冷えた。崖道を塞ぐように、厚さ一メートルはあろうかという氷の壁が立ち上がる。
だが、それすらも突進の勢いでひび割れ、ランページボアは牙を剥いて突き破ってきた。
「第二展開――《重力低下領域》!」
今度は別の魔術士が印を切り、低く呪文を唱える。魔獣たちの足取りが微かに鈍った。
足場の岩を踏みつけるたび、重さがふわりと逃げるような感覚に、グレートベアのひとつが体勢を崩した。
そこに飛び込むのは――槍兵。
「今だ! 押さえろ!」
大柄な兵士たちが叫びながら、肩を並べて槍を構える。
一本、二本――槍の穂先が魔獣の肩や脚に突き立ち、突進を止める。
それを合図に、背後から弓兵たちが次々に矢を放つ。
獣の皮膚は厚いが、関節や目元などの弱点を狙って放たれた矢は、確かに急所を穿っていた。
魔獣の咆哮。兵士の叫び。魔術の風。
音と熱気と土埃が混じる現場の空気は、ジャックの知る「戦闘」とはまるで異なっていた。
そのとき、ジャックの目に一人の男が映った。
銀の髪に風塵を浴びた中年の冒険者――名前は知らない。
だが、その動きは明らかに他の兵とは違っていた。
「……岩場を狙ってる?」
男はランページボアの進行ルートを一瞬のうちに見極め、岩が剥き出しになった斜面へと誘導するように動いた。
投げた小石が獣の注意を引き、次の瞬間――
「いまだ!」
叫ぶより先に、男は足元の岩を蹴り崩した。
ドドッ――という音とともに、傾いた岩盤に乗せられたランページボアが足を滑らせ、そのまま崖下へと落下していく。
「……あれは経験からくる判断だ」
ジャックは呟いた。知識でも力でもない。状況を読む“勘”だ。
《補助魔法反応確認。戦闘部隊の集中力、局所的に上昇中》
「それで、反応速度が上がったのか……」
魔術ギルドの一部が、それぞれの戦闘員に小さな光の球を投げかけていた。
それを浴びた者は、一瞬、目に鋭さを宿し、獣の動きに対してわずかに早く反応を返していた。
(これは……ただの防衛戦じゃない。街全体が、一つの“装置”みたいに機能してる)
ジャックはその場にいながら、まるで巨大なからくりを覗き込むような心地だった。
一つ一つの歯車――兵士、魔術士、冒険者、補助魔法――
それが一斉に噛み合い、街という生命体を守っている。
「……すごい」
素直な感嘆とともに、彼の足元で地鳴りがまた響いた。
崖下から次なる一団が迫っている――戦いは、まだ序の口だった。
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> 《アリスのメタ語り》
> この日、ジャックは知りました。
> 「戦いに加わること」と、「戦いを見届けること」は、まったく異なる行為であると。
> 彼は戦士ではありません。まだ。
> けれど彼の心には、この都市を守ろうとする人々の姿が、確かに刻まれていったのです。
>
> ――そして、それはきっと、後の選択に繋がる記憶となるでしょう。