第25話 グレイとジャックの対策4. 沈黙の危機
> ―AI『アリス』メモログより
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> 総魔力値、推定十二万オーバー。確認されたベヒモス級五十頭を含む、未分類種の大規模魔獣群が現在進行形でティレッタ方面に接近中。
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> 識別タグ:「スタンピード未遂事案コード:D-Alpha」
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> 通常、これを止めるには軍隊か奇跡が必要。けれど、今回の主役は軍でも奇跡でもない――
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> 九歳の少年だなんて、普通は誰も信じないでしょうけどね。
***
「うわぁ……こりゃひどい」
小高い岩場に立つジャックは、額にうっすら汗をにじませながら視線を前方へ向けた。
眼下に広がるのは、黒い津波にも似た光景。
地平線の先からこちらへと押し寄せる、文字通りの“魔獣の海”。
森林コボルトやシャドウファング、ランページボアなどの中型魔獣がわんさか群れを成し、なかでも目を引くのは――
「……ベヒモス、50頭。しかも全員、頭おかしいレベルの魔力持ち。なんでこんなに?」
「理由を考えるのは後だ。今は……始めるぞ」
グレイが短く告げた。
その声音には、齢七十を超える老人の疲労でも動揺でもなく、ただ一つ、準備を終えた戦術家の覚悟だけが宿っていた。
「……アリス、準備できてる?」
『いつでもどうぞ。対象魔獣の脳構造、ベヒモスA1~A50までのマッピング完了。使用術式:サイレント・クライシス、初弾投影可能です』
「よし……行こうか」
ジャックは静かに息を吸い、右手を前に突き出した。
光も音も発さない、極小の魔力の粒子が、風に溶けるように放たれていく。
対象は、中央を堂々と歩くベヒモスたちの頭部。
あの巨躯の内側、怒りと本能の巣窟たる脳の深部に、
ほんの微細な“スイッチ”を埋め込む――
「発射完了。第一波、十体に装填完了」
『反応確認中……』
ジャックが息を潜めるまでもなく、沈黙が広がった。
次の瞬間――
*ズシン……ズシン……*
音を立てることもなく、十頭のうちの九頭がぴたりと動きを止め、内側から爆ぜたかのように、巨体が崩れ落ちた。
「……失敗、か」
『反応なし。起爆。魔力の揺らぎ量、想定以下』
「でも……」
そのうちの一頭、ベヒモスA3は、突如立ち止まり、鼻息を荒げる。
その両目が血走り、明らかに何かに“怒った”。
「グレイ、今!」
「……よし。*ガストブラスト*」
グレイの手がひと振りされ、圧縮された風の塊が、怒ったベヒモスの顔面に直撃した。
*バギィィィン!*
その刺激に応じて――
ベヒモスA3は、雄叫びを上げようとした……その直後。
*ズドンッ!*
沈黙の中、内側から爆ぜたかのように、巨体が崩れ落ちた。
「……っ!」
ジャックの肩が一瞬震えた。冷や汗が首筋を伝う。
成功。初めて、サイレント・クライシスが完全に作動した。
「成功だ。……続けろ、ジャック」
「……うん」
震える指先を押さえながら、ジャックは次の構造体の形成に取りかかった。
視線の先には、なお動き続ける40頭の巨獣。
その一頭一頭に向かって、彼の集中力が、魔力が、意志が放たれていく。
次の10体、魔法発動――
『反応数……4。怒り誘発済、順次処理を』
再び、グレイが術を放ち、起爆。爆発。
魔法は成功と失敗を繰り返し、静かに、だが確実にベヒモスたちを減らしていく。
「現在、20体が爆発。残り30体には、構造体埋め込み完了」
『条件さえ揃えば、全員いつでも“怒らせて”起爆できます』
「……それ、聞こえると怖いなあ」
ジャックが、笑いともため息ともつかない声を漏らす。
気づけば、額から汗がぽたぽたと落ち、手の甲を濡らしていた。
こんな魔法、誰にも教えられない。
こんな戦術、誰にも誇れない。
でも――
「やらなきゃ、誰もヴェルトラに辿り着けない」
それだけが、今の彼の理由だった。
***
> ―AI『アリス』補足記録ログ
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> 現時点で、ベヒモス級魔獣の40%が戦闘不能、60%が爆破可能な“仕掛け済み状態”。
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> ジャックの実働が記録に残ることは、おそらくない。
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> けれど、歴史に刻まれるその陰には、名もなき子どもたちの戦いと、老魔導士の覚悟があった。
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> ……ねえ、いつかこの事実が、誰かに届くといいな。




