第25話 グレイとジャックの対策3. 夜の空へ
――【AI『アリス』による冒頭メタモノローグ】――
人知れず行われる作戦準備には、報われぬ労苦と静かな覚悟がある。
英雄譚の影で、名もなき者たちが空を翔けることを、人々は知らない。
今宵、ひとつの都市の命運を握る者たちが、静かに星を目指す――。
――――――――――――
夜の風は、昼間とはまるで別物だった。
火の気が失せた都市の空気は澄みきり、魔術ギルドの裏手には虫の音さえ聞こえない。
ジャックは長靴のつま先で、土をわずかに蹴った。
「……静かすぎて、逆に耳が痛いな」
つぶやく声は、あっという間に夜の闇に吸われた。
「準備はできているな、ジャック」
グレイの低い声。
その目が細く光るのを見て、ジャックは無言でうなずいた。
目配せ一つ。それだけで意志は伝わった。
詠唱もない。動作も最小限。
まずグレイが、杖の先からごく柔らかな風を解き放った。
「《ウィンドライド》」
風の力が、彼のローブを揺らしながら足元に巻き起こる。
次いで、ジャックが手のひらをすっと上げた。
「《ゼログラビティ》」
ふわり、と身体が軽くなる。
地面から切り離されるあの奇妙な浮遊感――。
胃のあたりがふわっと浮く。だが、不快ではない。むしろ心地よい。
グレイが片手でジャックの肩を示し、
「ついてこい。あまり離れるな」
とだけ言って、風に乗った。
ジャックもすぐに追随する。
足元が地を離れ、風が体を支える。
二人はそっと空へと上昇していった。
夜空が近づき、下界の光が遠ざかる。
ティレッタの街灯が、点々とした光の網のように見え始める。
それはまるで、誰かが大地に描いた光の星図だ。
「おお……」
ジャックが小さく声を漏らす。
頬をかすめる風の冷たさと、上空の静寂が心を震わせた。
「慣れるまでは息を深くしろ。高度は三千フィート。感知されぬ範囲だ」
グレイが淡々と告げる。
「感知される?」
「……いま我らが向かうのは、スタンピードの“核”だ。
中心座標。魔獣の群れが自然発生する、起点の座標」
ジャックはうなずいた。
アリスが即座に脳内で補足してくれる。
《現在地から北東へ約8.3キロ。標高差を考慮して、最短航路を構築中。》
高度は雲より少し下。
視界の端に、切れ間から覗く星がある。
「……見つけたぞ。核の座標だ」
グレイが左手を掲げ、空間に触れる。
すると彼の掌から淡く光る魔力が放たれ、まるで星座のように光点が結ばれていく。
ジャックの目に、その光の連なりが浮かび上がった瞬間、彼は理解した。
「これは……あれが中心点……」
《正確には、魔力密度の異常な収束。空間のたわみすら生じている。あそこが“核”で間違いない。》
二人は声を潜めたまま、風に身を委ねた。
スタンピードの核は、ただの一地点ではない。
そこにはおそらく、まだ誰にも知られていない“始まり”がある。
だが今夜は、見に行くための夜ではない。
“備えるため”の夜だ。
「ジャック。もし明日、作戦中に何かあっても……
お前の存在は、誰にも悟らせるな。いいな?」
「……はい。僕はただの見習い農夫ってことで」
にやっと笑って、ジャックは空を見上げた。
――風が吹き抜ける。
二人はそのまま、星と地上の狭間を滑空していった。
目指すは、誰も知らぬ“核”の真上。
その先には、誰にも見えない未来がある。
――【AI『アリス』による締めモノローグ】――
準備とは、時に目に見えないところで進む。
大きな戦いの前に、静かな夜を翔ける者たちがいる。
その軌跡を、誰が知るだろう。
だが確かに、未来はこの夜に動き始めたのだ。