第25話 グレイとジャックの対策1. 三人だけの密室
(AIアリスのモノローグ)
この世界において、「備える」という行為は贅沢品に等しい。
大半の者は、起きてから騒ぎ、慌て、そして失う。
だが、ごく一部の人間は違う。
静かに、深く、密かに、破滅に先んじて手を打つ。
これは、そうした者たちの、密室での戦いの記録である。
◆ ◆ ◆
魔術ギルドの地下室は、まるで城の礼拝堂でも目指したかのように荘厳だった。
高天井に反響するのは、微かに揺れる魔導灯の光音だけ。
磨き抜かれた黒曜石の床の上、三人だけが静かにその空間を支配していた。
中央に浮かぶのは、ヴェルトラ近郊を立体的に描き出した魔力分布の地図。
刻々と揺らめく線は、風の流れでも、水脈でもない。
それは――死と混沌の予兆。
「……核があるな」
低く、しかしどこまでも明晰なグレイの声が響いた。
その老魔導士は、地図の一点を指先でなぞる。
そこには、異様な密度をもつ魔力の塊が、点々と存在していた。
「核になっている魔獣次第では、ただの突発的な群れでは済まない。最悪、魔獣の大遷移が都市部を直撃する」
グレイの視線がジャックに向く。
まるで、あらかじめ準備していたかのように、彼の言葉は寸分の無駄もなく、次の指示に移った。
「スカイウォークとウィンドライド、同時使用はできるか」
ジャックは即座にうなずいた。
「使えます。二人同時でも大丈夫です。……ただ、操作は任せてもらいますよね」
「それでいい」
グレイはまた視線を地図に戻し、次の魔法の名をつぶやいた。
「サイレント・クライシスはどうだ」
その名が出た瞬間、室内の空気が一段冷えた気がした。
ジャックはわずかに眉をひそめ、間を置いて答える。
「……使えます。でも、まだ覚えたばかりで、実戦でのテストは――」
「現場で試せばいい」
グレイはためらいなく断言した。
そこにあるのは冷徹ではなく、責任の重みだった。
「今回は、興奮して移動しているときに爆発しないようにする。爆発させるのは、敵が『止まった』あとだ」
「どうしてですか? できますかね」
ジャックが問うと、グレイは静かに首を横に振った。
「『どうして』かは、現場で分かるだろう。できるかどうかは、お前次第だ」
それからグレイは、背筋を伸ばし、語気を強めた。
「最後は、ガストブラストをぶつけて怒らせる。あるいは、防衛隊に攻撃させて怒らせる。対象は核になっている魔獣たちだ。万を超すスタンピードの中核――数十頭はいるだろう」
その数を聞いて、ユリスの喉が小さく鳴った。
だが彼は、ジャックの隣で黙ってうなずいた。
その瞳に宿るのは、子供らしからぬ覚悟だった。
「最初はテストを兼ねて、核をいくつか間引いてもいい。だが、可能な限り成功させろ。これは、都市と民の命運を背負う仕事だ」
グレイの言葉には、一片の冗談もなかった。
にもかかわらず、不思議とこの場には恐怖はなかった。
むしろ、張り詰めた静謐さの中に、研ぎ澄まされた意志だけが存在していた。
ジャックは深く、強く、うなずいた。
「――はい。任せてください」
その返事に、グレイの眉がわずかに緩む。
だが次の瞬間にはまた、冷厳な戦略家の顔に戻っていた。
「いいか。お前は実働部隊であると同時に、『秘密兵器』でもある。余計な目に触れるな。目立つな。だが――全てを終わらせろ」
「了解です」
軽く、しかし確信に満ちた声でジャックは応えた。
幼き少年にして、千の策と百の魔法を内に秘める、奇妙な存在。
彼の存在が、今日この密室で、確かに"役割"として認められた瞬間だった。
◆ ◆ ◆
(AIアリスのモノローグ)
情報とは、光に似ている。
強すぎれば目を焼き、弱ければ闇と変わらない。
この日、この密室で交わされた作戦は、光でも闇でもない。
それは――必要とされる正確さを持った、見えざる閃光。
ただし、標的を撃ち抜くその時までは。




