『真実の愛』の行方
残酷な描写があります。
惨殺死体が出てきます。
胸糞注意です。
「君を愛することはない。ただ、お飾りの妻として分を弁えて過ごしてくれ」
結婚初夜、男は妻となった女にそう告げた。
「理由をお聞きしても?」
「はぁ……。言う義理もないが、面倒なことをされても迷惑だからな。俺には以前から愛している者が居る。その相手こそ『真実の愛』なんだ」
「では、何故その方と結婚しなかったのですか?」
「……彼女は平民だ。だから伯爵家の妻には出来ないと親から反対された」
「では、私の家に縁談を申し込んだのは誰で、何が目的ですか?」
「……君の家は、我が伯爵家から多少の支援があれば良かった。それから君は家でロクな扱いを受けてなかったのだろう? 君より綺麗な妹が居て、両親はそちらを優先していたとか。だから妻になった君をどう扱おうが、君に帰る場所などない。君は俺に従うしかないだろう」
「まぁ、随分と正直なこと」
「フン」
実際にそうだろう。男は妻となった者を見下していた。
その時。
ガタン!
「ん……? 何だ?」
「あら、見つかってしまいました?」
「……何の話だ」
「ふふふ、実は旦那様の『真実の愛』を手に入れようと、私も努力してみたのです。それでどうにか手に入れてみました。見てみますか? クローゼットの中にありますよ。アレを見れば、きっと旦那様も先程の言葉を改めて『真実の愛』を、」
「くだらないな」
ピシャリと男は妻の言葉を遮った。
そして、うんざりした気持ちになり、軽蔑しながら妻を見下ろす。
「大方、夜の楽しみのための道具でも買ってきて、俺の気を惹こうというのだろう? 浅ましい。そんなもので俺が籠絡などされるワケがない」
「ですが、旦那様は今夜この部屋で一晩、私と過ごすのですよね? これから部屋で私と二人きりになるのですから」
「なるワケがない。私は自分の部屋で寝る」
「はぁ……。それなのに、わざわざあのような言葉を掛けるためにこの部屋に来られたと?」
「フン! 責められる筋合いはない!」
「まぁ、それでも部屋に来たのですからその気があって」
「クドい!」
ベッドの上で動きもしない妻に対して声を荒らげると、男はすぐに廊下に出る扉へと向かった。
「言っておくが使用人に泣きついても無駄だ。この屋敷に居る者たちは全員、俺と彼女の味方だからな!」
「そのようで」
「……明日からは、せいぜい大人しくしているがいい」
バタン! と大きな音を立てて男は扉を閉めて去っていった。
妻となった女に縋りつかれては堪らないとでも言うかのように。
「ふふ、可哀想。最後のチャンスだったのに」
妻となった女は、そう呟いて笑う。
そして、クローゼットへ歩いていき、その扉を開いた。
鍵は掛かっていなかった。
「──『真実の愛』はここにあるわ」
◇◆◇
結婚式の翌朝。
コンコン、と寝室の扉がノックされる。
「奥様、起きていますか。入りますよ」
昨日、屋敷の主人は妻の寝室に訪れた。
だが、そう時間が経たない内に出ていったはずだ。
嫁いできた妻はお飾りの妻。
新たに伯爵となった男には以前から平民に愛する者が居る。
それはこの屋敷の使用人たちには周知されていることだ。
生憎と相手の身分が低く結婚を認められなかったが、こうして文句の言えない立場の妻を飾りとしておき、『真実の愛』を愛でるつもりらしい。
それでも社交の場では、妻の役割を果たしてもらう必要がある。
初夜に夫に相手にされなかった惨めな女性だが、雇い主の決めたこと。
使用人たちに言うことはない。
「……奥様?」
部屋の中からの返事はない。
まだ起きていないのか。
泣き疲れて寝たままなのだろうか、とメイドは思った。
ならば良かった。
惨めな女の愚痴を聞かされるなんて憂鬱な仕事を避けられる。
(寝ている間に部屋を片付けるなりしましょう。まぁ、どうせ何もなかったのだけど)
「入ります」
それ以上の了承を求めず、メイドは扉を開けて部屋の中に入り……。
「え? は……? きゃあああああああ!!!」
彼女は悲鳴を上げた。
「何だ!?」
その悲鳴を聞きつけて屋敷の中の人々が集まってくる。
その中には屋敷の主人である男も居た。
「この部屋は、何だ、あの女が何かしたのか!?」
「あ、あ、旦那様、奥様が……奥様が」
部屋の中を見た者たちは、その光景に言葉を失い、怯えている。
「一体何が……うっ!?」
部屋の中には悍ましい光景が広がっていた。
ベッドの上には女が一人横たわっている。
……だが、そのベッドは『血塗れ』だった。
胸に刃物らしきものが突き立てられている。
「まさか、あの女が?」
どう見ても死んでいる。殺されている。
それだけではない。
「燃えた後……?」
死体の頭の部分は焼け焦げた跡が残っていた。
「髪を、燃やした? のか……」
死体の髪の毛に火を付けた様子で、身体付きで女性とは分かるものの、髪の毛がなくなった頭部ではそうだと言いにくくなっていた。
「顔も……」
顔も焼け爛れている。
それだけではなく、どうやら顔も切り刻まれた後のようだ。
惨殺死体だった。
「何故こんな……」
「だ、旦那様。アレは……奥様なのでしょうか?」
「それは……ああ、そうなのだろう。昨夜、あの女が着ていた夜着を着ている」
「ああ……。確かに……しかし、何故こんな、一体誰が?」
その疑問に答えられる者は居ない。
結婚式の翌日、いや、その日の内に花嫁が惨殺された。
伯爵家の醜聞だが、こんなことを勝手に対処するワケにもいかない。
「……治安局に連絡をしてくれ。出来れば死体の処理も頼みたい」
「は、はい。旦那様!」
伯爵家に何者かが侵入して、そして伯爵夫人となった女を襲って惨殺した。
恨みがある者の犯行にしか見えない死体。
(……待てよ? まさか)
男は冷や汗をかく。
男の妻となった者をああするまで恨むような者は、そうは居ないはずだ。
そこまで男に執着心がある女が居たなら、お飾りの妻としてもっと早くに目を付けていた。
犯人が男なら、妻に懸想していて裏切られたと思って?
(あんなことを仕出かす犯人の心理など分かりはしない、だが)
妻に執着していたのなら、あの殺し方は違うのではないだろうか?
男が犯人なら……他人の妻となった想い人に恨みを晴らすのに顔を切り刻むよりは……穢そうとするのではないか。
伯爵はそのように考えた。
だから、これは伯爵の勘でしかないのだが。
犯人は女ではないだろうか。
それならば、心当たりは……ある。
伯爵の『真実の愛』の相手である平民の彼女だ。
「まさか、まさか」
彼女が犯人ならば屋敷に入る事が出来るだろう。
伯爵は治安局の捜査を受けつつ、その日の内に彼女に会いに向かう。
だが、その日以降、伯爵が『真実の愛』と会うことはなかった。
彼女は姿を消してしまったのだ。
住んでいた家からも、この街からも。
◇◆◇
半年後。
「はぁ……どこへ行ったんだ」
伯爵は最愛の女性と、お飾りとはいえ妻を失い、何もかも上手くいかない日々を嘆いていた。
「約束したじゃないか、ずっと一緒に居ると。お飾りの妻なんか相手にしない。俺が愛する女性は君だけだって!」
伯爵は『真実の愛』の女性とかつて言葉を交わしていた。
お飾りの妻は相手にせず、屋敷の奥に閉じ込めておくから心配しなくていいと。
宝石もドレスも妻には渡さず、全て彼女の物にする。
社交の場ではお飾りとはいえ、妻が必要となるだろうから、その時だけ妻に役割を担わせるのだと。
役立たずの妻には、せいぜい仕事を押し付けるぐらいさ、と。
そう言って伯爵と笑い合っていたのだ。
だから、彼女が妻を殺す必要などなかった。
しかし、それでも許せなかったのだろうか。
伯爵夫人になる妻のことが。
失踪した彼女は伯爵夫人殺害の容疑者となり、指名手配されることになってしまったのだ。
こうなっては、伯爵はもうどうにも出来ない。
せめて逃げた彼女が捕まれば最後にもう一度言葉を交わせるのに。
妻の実家からは当然のように抗議がきた。
嫁いだその日に妻が殺されたのだ。
喩え以前から愛さず、ロクな扱いをしていなかった家族とはいえ、この状況では伯爵に返せる言葉はなかった。
「妻の死体を隠していれば良かったか……いや、だが使用人たちの口を封じ続けるのは無理だ」
何をどう悩んでも、かつて夢描いていた日々が戻ることはなかった。
◇◆◇
伯爵は落ちぶれていった。
新妻を守れなかったこともそうだが、その犯人が結婚前から伯爵と想い合っていた平民だというのだ。
当然、新たな縁談など結べなかった。
浮気以前の問題だし、妻の身が守られない屋敷になど誰も行きたくはない。
そして『真実の愛』を失ったこともあり、伯爵は事業に身が入らなかった。
そんな彼を支えてくれる妻さえ殺されて、彼のそばには居ないのだ。
妻の実家への慰謝料も払って……資産も減り、何もかもが上手くいかなかった。
夜会に参加すると噂が耳に入ってくる。
どうやら妻の実家も困窮しているらしい。
伯爵からの慰謝料を受け取ったが『結婚式の初夜に惨殺された悲劇の伯爵夫人』について、根掘り葉掘りと調べられ、その話が広まった結果だ。
彼女が実家で受けていた仕打ちも明らかになり、妻の実家は社交界で爪弾きにされ、もう表舞台に出てこられなくなっていた。
その悪影響からは伯爵も逃れられない。
そもそも『何故、結婚式初夜なのに伯爵夫人は部屋で一人だったのか?』
さらに、その犯人として指名手配されている平民女性が伯爵にとっての何者なのか。
社交界には既に伯爵が結婚式初夜から妻を捨て置いたのだと知られてしまっていたのだ。
伯爵のせいであの悲劇の伯爵夫人が惨殺されたのだ、と。
(もう……どうにもならないのか、俺は)
今日、伯爵が参加する夜会も久しぶりだった。
あの事件があって隠居した両親からも、ほぼ縁を切られているような状況だ。
今の伯爵は関わるだけ、その者が損をする存在と成り果てている。
そんな彼に話しかけてくる者など居るはずがない。
「……帰ろう」
妻の実家のように、もう伯爵には社交界での居場所がない。
きっと、もうどうにもならないのだ。
「嫁いできてくれた妻を大事にしないから、ああなるのだ」
誰かが夜会の会場から去ろうとする伯爵の背中にそんな言葉を投げかける。
「くっ……!」
伯爵は逃げるように会場から出ていった。
◇◆◇
「妻を大事にしていたら良かったのか……?」
元からお飾りにするつもりだった女だ。
しかし、彼女があんな姿で惨殺されるほどの罪を犯しただろうか?
いや、それ以前に自分と彼女が妻にしようとしていたことは……。
「うげぇ……!」
伯爵は気持ち悪さで吐き出す。
落ちぶれた伯爵家の屋敷からは、どんどん使用人が減っていた。
だから、こうしている時に伯爵の背中を摩る者も居ない。
だいたい夫人が夜中に惨殺されるような警備の屋敷だ。
恐ろしくて住んでいられないというのが、使用人たちの心情だった。
そうして出ていった者たちから伯爵が妻にしようとした仕打ちも広まってしまい、余計に。
「くっ、そ……何故こんな!」
何もかも失ってしまった。
その理由が妻を大切にしなかったからなのか?
「ああ、妻の名前は何だったっけ……?」
お飾りの妻。愛していない妻。そのために金で買ったような政略結婚の妻。
妻との思い出なんかない。
初夜が一番多く話したぐらいだ。
それも特に肌を重ねることもないまま。
だから、本当に何も妻について思い出すことがない。
最早、今となっては妻の顔さえ忘れてしまった。
思い出そうとすると無惨な姿が思い浮かぶ。
「ああ……一つだけ、あった」
そうだ。妻はあの夜、伯爵の『真実の愛』を得ようとしていた。
そのため、クローゼットに何かを用意していたのだ。
アレは結局、あの部屋にあるままじゃないだろうか。
惨殺された妻が、伯爵との初夜のために、愛を得るために用意していた物。
きっと卑猥な物なのだと思うが……それだけが唯一の妻との思い出だ。
伯爵は、あの血生臭い臭いが残っているような部屋にフラフラとした足取りで歩いていく。
ベッドの上には何もない。
シーツさえ新たにされることなく、捨て置かれている。
使用人たちもこの部屋には入りたくなかったのだろう。
伯爵はクローゼットの扉に手を掛けた。
「一体何を用意していたんだ?」
妻はあの夜、何と言っていただろうか。
『ふふふ、実は旦那様の『真実の愛』を手に入れようと、私も努力してみたのです。それでどうにか手に入れてみました。見てみますか? クローゼットの中にありますよ。アレを見れば、きっと旦那様も先程の言葉を改めて『真実の愛』を、』
「俺の『真実の愛』を手に入れようと努力して、どうにか手に入れた……見れば、俺は言葉を改めて『真実の愛』を」
キィィィと音を立ててクローゼットの扉を開く。クローゼットの中には。
「──何だ。中には何もないじゃないか」
伯爵は、その場で力尽きたようにへたり込んだ。